sairo

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春の陽気が、窓から差し込む午後。
その日差しから逃れるように、窓から離れたソファで丸くなる少女が一人。起こさぬように、静かに少女の元へと近づいた。
顔を覗き込む。汗ばむ肌は赤く、眉を寄せて少女は寝入っていた。
小さく息を吐く。暑さに極端に弱い少女は、この春の穏やかな陽気ですら苦手らしい。
さてどうしようか。心の内で呟いた。
少女の――妹のために、冷房をつける事は簡単だ。だがそうする事で、益々外へは出られなくなってしまう事は、想像に難くない。

「困ったな」

思わず独り言つ。
このままでは、普通の人と同じような生活が出来なくなってしまう。それだけは避けたいが、このまま苦しむ妹を見ているのは忍びない。
眉間に皺を寄せながら考え込み。それを笑うように風が過ぎていった。

「――桜?」

目の前を踊るように過ぎていく白。目で追いかければ、それはふわりと少女の手のひらへと落ちた。
その刹那。少女の表情が穏やかになる。ふふ、と笑みを溢して、唇が何かを囁いた。
耳を寄せても聞こえぬほどの、微かな声。けれど何故だろうか。少女が何を言ったのか、はっきりと理解できた。
――おかあさん。おとうさん。

はっとして、少女の手のひらに落ちたものに視線を向ける。よく見れば、それは桜の花びらではなかった。白の花びらによく似たそれは、小さな雪の結晶だった。

「っ、ねぇ、起きて!」

少女を揺すり、起こす。むぅ、と小さく声を上げて薄く開いた少女の目を覗き込んだ。
夢見心地な目が、次第に焦点を合わせ。はっきりと視線が交わると不思議そうに目を瞬いて、少女はふわりと微笑んだ。

「おにいちゃん。おはよう」
「おはよう。大丈夫?」
「ん。平気。もう大丈夫だよって、お守りをもらったから」

少女の言葉に、眉を寄せる。意味が分からずにいれば、あのね、と体を起こしながら少女は囁いた。

「夢をね、見たの」
「夢?どんな?」
「なんだったかな。優しい夢だったよ」

ほぅ、と息を吐き、少女は目を細める。愛しい何かを探すように視線を巡らせて、淡く微笑んだ。

「お話をしたんだよ。覚えてないけれど、たくさん話をしたの。それで頭を撫でてもらって。お膝に乗せてもらったり、肩車してもらったり…それでね、お守りをもらったの」

手のひらに視線を落とす。そこには既に雪の結晶はなく、けれど大切な何かがあるかのように、少女は手を握り抱きしめた。

「もう大丈夫だよって。暑いのは平気になるから、お外にも出て行けるよって…夢だったけど、本当になったみたい」
「――そうだね。もう平気そうだ」

すっかり汗が引いた少女を見つめ、微笑んだ。
手を差し伸べる。
きっと、春の日差しは少女を苦しめる事はない。そんな確信に、手を取る少女を促して、窓辺へと向かう。

「暖かくて、気持ちがいいね」

春の日差しを受けて、少女は穏やかに囁いた。

「春だからね」

少女の隣で空を見上げつつ、言葉を返す。
くすくす笑う少女につられ、同じように声を上げて笑った。
不意に風が吹き抜けた。目の前を小さな白が過ぎていく。

「……雪だ」

見上げている空はどこまでも青い。晴れの空から、桜が舞うように静かに雪が降っていた。
手を伸ばす。触れる雪は、僅かな冷たさを残して溶けていく。

「――元気かな」

微かな呟きに、少女へと視線を向けた。遠く空を見上げる横顔は、どこか困惑してようだった。
記憶にないのだから当然だろう。幼い頃の事を、少女は覚えていない。
本当の両親の事を。父の思いも、雪と共に逢いにきた母に手を振り別れた、あの夜の事さえも。
少女の肩に手を置き、視線を合わせる。無意識の呟きに、返せる言葉は一つだけだ。

「元気だよ、きっと。だってこうして近くで見守っているんだから」

冬に在る母の血を引いて暑さに弱い少女を心配して、こうして訪れるくらいには。

「そっか…元気なら、それでいいや」
「心配はかけているみたいだけど」
「そんな事ないよ。心配をかけるような変な事はしてないもん」
「どうかな。春先からソファで溶けそうになっていたのは誰だっけ」
「ちょっと!いじわる言わないでよ」

頬を膨らませて怒る少女に、怖い怖いと嘯いて。横目で見る雪の舞う空に、声には出さずに呟いた。

――大丈夫。妹は、あなた達の大切な子は、人として生きる事が出来ています。



「そういえば、溶けそうな誰かさんのために、アイスを買ったんだった。でももう大丈夫なら、アイスはいらないかな」
「いる!それとこれとは別!」
「そう?じゃあ、食べに行こっか」

笑って手を差し出せば、むくれながらもその手を取られ。手を繋いで歩き出す。
忘れてしまった幼い頃から変わらない。

「おにいちゃんは悪い子だから、罰としてわたしがおにいちゃんの分もアイス食べるからね」
「太るぞ」
「聞こえないっ!」

軽口を言い合いながら、扉に手をかける。

「あ。ちょっと待って」

何かに気づいて少女は繋いだ手を離し、窓へと振り返る。
満面の笑みを浮かべて、大きく息を吸い込んで。

「バイバイ!」

窓の外。降り続く雪に向かい、手を振った。



20250409 『元気かな』

4/9/2025, 1:43:56 PM