よあけ。

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世界の終わりに君と:

書くという行為は自分との対話だと思う。

私は私を知りたかったし、私は私に理解してもらいたかったし、受け入れてほしかったし、私は私に伝えたかった。

気分が落ち込まないと書けないと入力したにも拘わらず、気分が落ち込みすぎて書けなくなっていた。

自分と対話する、自分と向き合うことをやめた。それもまた自分との対話だったのかもしれない。無言という名の返事だ。

去年書いた「世界の終わりに君と」は随分ロマンチックで可愛らしいものだった。こんなに可愛らしい感性を持って、さらにそれを文字に起こせている。そんな君が素敵だ。一年前の君は夢見る可愛い人だったんだよ、ああなんて魅力的なものか!

自画自賛だ。だって私は私の感性が好きだ。時折投げ捨ててしまいたくなるほど好きだ。踏んづけてグチョグチョにして啜ってみたいほど好きだ。

他人にそれをされるのは嫌いだ。私の感性は私だけが自由に触れる私だけのものなのだから。

勿論優しく撫でるのも私だし、絆創膏を貼るのも、補強するのも私だ。そんなこと自分はしないが、過去か未来の自分がやってくれるからそれに任せておけばいい。

家族や友人や恋人が撫でてくれる、絆創膏を貼ってくれる、お互いに触れ合ったりする、なんて人はいるだろう。

私ではない。

私の言う「君」とは結局のところ自分のことだ。私は私の中にある、あらゆる言葉の欠片を「君」と呼んで、キャラクターを作り上げて、その自分と対話している。

次第に勝手に返事をし続けて収拾がつかなくなることも多々ある。頭の中が常に言葉で溢れかえってごちゃごちゃしてばかりだ。

混沌を整えようとする自分、ずっと喋り続ける自分、全く別のことを言い出す自分、離れた場所から意見を出す自分、常に切り捨てるようなことばかり言う自分、それに混乱している自分、というのがすべて頭の中にいる。いろんな立場の自分が頭の中から自分に声をかけてくるのだ。言葉の欠片からキャラクターを作りすぎている。これは今のところ静かにならないしどうしようもないし仕方がない。諦めることが大事だと思う。

二つ対処法があった。何か音を聞くことだ。音楽を聞くとか、「ノイズ」と検索して流すとか。それでも治まらない場合は自分の頭を叩くこと。

多重人格だとか何かの弊害だとかではなく、そこそこの人の頭の中はこんな感じだと思う。まとまらなくて、ごちゃついていて、いろんな自分が頭の中で喋っている。

その中の一人をピックアップして、その自分の思考をして、書いてみる。そして自分に向けて「君」と呼びかける。もしくはピックアップしたその自分を「君」にしてしまう。すると後で読み返したときに自分と対話することができる。これが中々役に立つのだ。それから単純に楽しい。新しい思考を知れるのは楽しい。

やっぱり書くことは楽しい!

思考を保存できるなんて凄く便利だ。これでまた困ったときに役に立つ。

書けない〜〜なんて思ってもそのうちいつかの自分が何か素敵なものを書いてくれるから焦る必要なんてない。こうやって対話し続ければ次第に何か出てくる。

世界の終わりが来るならそれまで君と対話し続ける。
私は私と話し続ける。だってそれってすごく楽しい。



世界の終わりかぁ、隕石が落ちて地球滅亡とかしないかなぁ。なんて思ったけど、自分の望みだけで関係のない人まで巻き込んで死なせてしまうのは申し訳ないし、あまりにも自分勝手すぎる気がしたから「私のところにだけ隕石が落ちてきてほしいなぁ」という方が良いかもしれない。

6/8/2024, 4:25:24 AM