誰かが物語は”敵を排除する話”か”恋愛をする話”の2つしか無いと言った。
敵を排除する、というのは敵を倒すのか、逃げるのか、はたまた和解して味方にするのか、いろいろな解釈はあれど生きるための障害を乗り越えるということなのだろう。
恋愛は子孫を残したいというのもあれば社会の中で認められるというような趣旨も含まれたりするのだろう。
かなり大雑把な2分割をしているが、柔軟に解釈すれば理解できなくもないし、確かに多くの物語がその枠に収まる。なかなかパワーのある秀逸な言葉だと思う。
あなたは、見た事があるだろうか。突然クマに襲われている外国人をそのペットの犬が助ける様な動画を。また、赤ん坊のピンチをペットが救うと言うような動画を。
たったの10秒程で“敵を排除する話”を見せられる。緊張感のある非日常的脅威からどうにか逃れ、安堵感を得ることができる。非常に秀逸な人を惹き付ける内容である。
しかしそれはAIに生成された巧妙なつくりものだと後から知る。実物であると疑いもせず手渡した緊張感と安堵感を差し戻せはしないだろうかと怒りが湧いた。
こういう動画を生成し安易に人の感情を弄ぶ画面の裏にいる下種の顔がちらついて更に腹が煮える。
そんな感情を苦労の末部屋の隅に追いやり、ふと考える。今後はこのような動画が世界に溢れコスパよく感情を起伏させ人は余暇を潰して過ごしていくのだろうか。
動画を見るだけでそれがAIによって作られたものかを誰しもが判断することは難しいほどに技術は進歩している。
そしてそういった物は人の手を圧倒的に越える速度で供給されあっというまにそこらじゅうに溢れかえるのだろう。
そうなれば人はそのうちAIが作ったものかどうかなど気にも留めず、自分の感情の起伏を正当化しその世界を受け入れていくのだろうか。
多くの創作の分野に浸食し創る者の心を細らせできたAIはついに「物語」の分野まで迫っているのではないかと感じずにはいられなかった。
睡魔を抱え朝日を迎えるのは大変癪なので本日はここまでとする。
10/17/2025, 5:57:01 PM