池上さゆり

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「それじゃあ、隣の人と席を向かい合わせて。お互い協力して課題を進めてください。期限は一ヶ月です」
 そう指示されるまま、隣に座っている女子と席を合わせた。
「よろしく」
「……ん」
 挨拶しているというのに、あまりにそっけない返事。こんな調子で大丈夫かよと不安になるが、先生に文句言ったところでどうにもならないだろう。それに普段からよく読書をしている人だ。きっと成績はみんなが知らないだけでいいに違いない。
「自由課題のテーマどうする?」
「なんでもいいよ、あなたに合わせる」
「あなたって?」
 読みかけの本に栞を挟んで彼女は机の中に片付けた。
「私クラスメイトの名前覚える気ないの。だから誰とも話さないし、名前で呼ばない」
 なんだかめんどくさそうな人だなと思って、それ以上深掘りはしなかった。結局テーマは俺の方で勝手に明治文学から現代文学についてにした。これなら彼女もやりやすいだろうと思った。案の定、次の授業の時間には彼女は明治時代から現代に至るまでの歴史的な推移や新たに生まれた手法、著名な作家についてまとめたノートを持ってきてくれていた。もうこれだけで課題はほとんど完成したようなものだった。
「すごいね、これ一週間でやったの?」
「部活もやってないし、時間はあるから」
 それを受け取った俺はパソコン室に行ってパワーポイントを作った。本当ならこれも二人でやらなければならないが、彼女がこれだけのノートを作ったのだからこれだけでもと引き受けた。
 二週間ほどでパワーポイントも完成して、いよいよ発表に向けての準備を始めた。原稿は俺が作ると言い出したが彼女がなにがなんでも譲らなかった。しょうもないことで喧嘩するのも嫌だったので、任せた。
 そして、発表が近づいてきた頃、先生に呼び出された。
「ペアになった女の子から何か聞いていない?」
 遠回しな探られかたをしてなんだか嫌な気がした。
「なんにも聞いてないっす」
「そっかー。まぁ先生から話すって言ったもんね」
 なんなんですかと答えを急かした。
 すると、先生はすっと真面目な顔になった。
「あのね、今度の課題発表の時あの子には原稿を覚えさせようとしないで欲しいの」
 意味がわからず、困惑する。どういうことなのかと聞いてみる。先生は簡単に説明するとあの子は人より記憶力が弱いらしく、人の名前や会話内容、文章を覚えるのが苦手らしい。
 それを聞いて納得した。先生にはわかりましたと伝えて、職員室を出た。これからやることは決まっていた。
 あれからしばらくして発表の日が来た。先生に頼まれた通り、彼女から原稿を受け取って発表をこなした。俺と関わるのは今日で終わりだと思っているのだろう。でも、そうはさせなかった。
 翌日、教室で本を読んでいた彼女に声をかけた。
「おはよう」
「……ん」
 すぐに目を背けて、本に視線を落とした。
「俺のことは覚えなくていい。俺もお前のこと名前で呼ばないから」
 本に指を挟んで、彼女はこちらを見た。
「なに考えてるの。私なんかと一緒にいたって楽しくない」
「俺が仲良くしたいんだ。覚えてくれなくても、嫌われるまで話しかけていいか」
 自分で言い放っておいて、恥ずかしくなった。これではまるで告白みたいだ。まだ、恋愛感情なんてないはずなのに、不思議そうにこちらを見ている目がいつもより綺麗に見える。
「……私はなんて呼べばいい? 明日、覚えてるかわかんないけど」
 その答えに心の底から喜んだ。
「なぁなぁでも。お前でも。毎回名札を確認してくれても。なんでも。お前の好きな呼び方でいい」
 その呼び方がきっと、俺を形作る。

8/25/2023, 1:31:22 PM