エムジリ

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 文机に、一人の青年が写ったセピア色の写真が置かれている。
 カセットレコーダーからピアノの音が流れだすと、白い猫がやってくる。
 僕はこの空間の何処かに居る親友に、彼の望んだとおり、美しい旋律を聞かせているのだ。

 医療技術はまだまだ発展途上にあって、人々にとって死はすぐ側に佇んでいた。だから僕と彼はしょっちゅう死後の世界について話をしていた。
「どうして幽霊は姿を現さないんだと思う?」
 彼──中学校からの親友、誠司が言った。
「輪廻転生しているからじゃないか? 死んで、あの世で審判のくだった魂は、別の生命としての活動が始まるから幽霊なんてものは存在しない、とか」
 僕は最近聞きかじった知識をそれっぽい口調で語る。
「うん、なるほど」誠司は面白そうに頷いた。「俺はね、幽霊はいると思う。ただ生きている人間には見えないのさ。何て言うか、波長が違うんだ」
「波長?」
「例えば可視光線以外の光、紫外線や赤外線なんかは俺達には見えないだろ」
「ああ、つまり幽霊に光が当たったとして、人間には見えない波長を発しているという事か」
「そういう事だ。霊は存在していても、色の着いた物質としては見えないんだ」
「でも物質としてそこに居るとなると、僕らは幽霊にぶつかったりするんじゃないか?」
「……霊を作るものは空気のように、極微小の粒子なのかもしれない」
 苦し紛れの誠司の言葉に僕がぷっと吹き出すと、顔を赤くした彼が大袈裟に咳払いしてから言った。
「俺は幽霊はいると思っている、でももしかしたらお前の言うように、あらゆる生き物に輪廻転生しているのかもしれない。そこでだ、俺が死んだら、ちょっとした頼み事があるんだが──」

 誠司が二十四で病死してから、僕は彼の月命日ごとに、こうして自宅でドビュッシーの月の光を一回だけ流している。案外ロマンチストであった彼の願いに従って。ただし写真を飾るのは僕のためだ。誠司に会いたいと思っている僕だけのため。
 そうしてカセットテープを再生して座椅子にもたれていると、何処からともなく白い猫がやってくる。彼または彼女はふらりと庭先に現れるなり縁側に飛び乗って、前足を行儀よく揃えて座る。月の光が流れているあいだ中一度も鳴かず、じっと静かにそこに居る。そして曲が終わってしまうとまたどこかへ消える。
 僕はその後を追ったりしない。毎回来るのが同じ猫なのかなんて、確かめたりしない。ただ、あの猫が誠司だったらいいなと思いながらまた次の月命日を迎えるだけだ。

「──俺の墓の前で語りかけられても困るんだよ。お前の言うことが正しかったら、人間の言葉なんか喋られてもわからないからな」
 誠司は柔らかく笑っている。


▼言葉はいらない、ただ・・・

8/30/2023, 9:00:38 AM