結城斗永

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「おかえりなさいませ」
 玄関を開けた瞬間、妻と娘、そして母までもが玄関先に正座して並んでいた。
 ——いったい何があった?
 スーツ姿のまま立ち尽くす俺に、妻がにこりと微笑み、手を差し出した。
「外はお寒かったでしょう。上着をお預かりいたします」
 妻が俺の後ろに回り、肩からするりとジャケットを受け取る。

 ――何かのサプライズか?
 不審に思いながら食卓へ抜けると、テーブルには好物がずらりと並んでいた。
 ――誕生日はまだ先だし、特別めでたいことも思いつかない。
 何ひとつピンとくるものもなく、もどかしさだけが募っていく。
 そうこうしている間にも、妻が俺の前に箸を揃え、娘が白飯を持った茶碗を差し出す。
「まぁ、たまにはこういうのも悪くないか……」
 俺はとりあえずこの状況を受け入れることにした。そのうち向こうから何かしらの展開は訪れるだろう。

 食事の間も会話は弾み、食卓は笑顔に溢れていた。
 三人とも、俺の話にも一様に笑って見せ、妻は「あなたったらご冗談もうまいのね」とよそよそしい口調で、時折笑い涙を拭う素振りを見せる。――まるで芝居みたいに。
「なあ、さっきからおかしいぞ。後ろめたいことでもあるのか?」
 俺は思わず妻に問いかけていた。
「まぁ、何をおっしゃるのやら」
 妻の口元の笑みが、張りついたように動かない。
「そんなことないわよね。おばあちゃん」
 娘が母の顔色を窺うように尋ねる。胸の奥に得体の知れないモヤモヤが溜まっていく。

「お風呂も沸いていますよ」
 食事の後、母に促されて風呂場へと向かう。
 脱衣場には入浴剤のいい香りが漂っている。洗濯機の上には新品のタオルが折り目正しく準備され、着替え用のパジャマもまるで新調したように整っていた。
 湯船につかりながら、もしかして昨日までもこうだったのか……などと考えてみる。いや、そんなはずはない。
 
 パジャマに着替えてリビングに戻ると、三人はまた一列に並んでいた。
「お湯加減はいかがでしたか?」
「悪くなかったよ……って、そろそろいいだろ」
 俺の言葉に妻はきょとんとした表情を見せる。
「おっしゃっている意味がよくわかりませんわ……」
「ふざけるな、いい加減にしろ!」
 俺が声を荒げると、妻は一瞬まばたきし、すぐに微笑みに戻った。
「あまり大声で叫ばれますと、周りのご迷惑になりますので――」
 後ろで娘が怯えた表情を見せる。母と目配せをして小さく何かを呟いているのが見えた。

「何をこそこそ話してるんだ!」
 俺がそう叫んだ途端、ぴんと空気が張り詰めた。三人の視線に軽蔑が混じる。
「これ以上騒がれますと警察を呼びますよ」
 真剣な表情で俺を見る妻の後ろで、娘が電話の受話器を手にしていた。
「は? 何を言って——」

 数分後、俺は赤いパトランプに照らされながら、二人の警官に両脇を抱えられていた。
 妻は警官に頭を下げ、娘は後ろで怯えるように母にしがみついていた。
「ご足労をおかけしました」
 妻の声が冷たく響く。

 パトカーの中で俺は何度も叫んだ。
「俺は家族なんだ。信じてくれ!」
 だが警官は全く聞く耳を持たない。
「もう今月に入って四件目ですよ、あんたみたいな人……」
 ——どういう意味だ?

 留置場で迎えた翌朝、まだぼんやりとする頭に警官の声が響く。
「どうです、何か思い出しました?」
 相変わらず警官の言っている意味が分からない。何を思い出すというんだ。
「最近多いんだよね、ガチでハマっちゃう人――」
 そう言って警官はスマホの画面を差し出す。ネットニュースの見出しが目に入る。
『また家族喫茶でカスハラ 本当の家族と勘違いしたか』
 ――家族喫茶……、勘違い、何のことだ?
 昨日の記憶はあるものの、あの三人の顔はまるでのっぺらぼうのようで、どんな顔をしていたか全く思い出せない。
「まったく……。依存性が高いんで、ほどほどにしてくださいよ」
 俺の本当の家族は? 家はどこにある?
 留置場を出た俺は、空っぽの頭の中を探るように、朝の街を途方もなく歩き出していた。

#おもてなし

10/28/2025, 1:42:53 PM