たとえば、本当に押したかったボタンよりもひとつズレた結果の自販機ジュース。連続購読中の新刊を買って帰ったら、本棚に並んでいた同じ背表紙。人間である以上誰しも一度は体験した事があるのではないだろうか。……いや、少し主語が大きすぎた。自分の現状を憂うあまりセンチメンタルになってしまっている。それは認めよう。
そこでわたしは漸く、スマートフォンの画面から顔を上げた。陽当たりのいいキッチンで動く広い背中を見ると、童話のキリギリスが思い起こされた。対してわたしは怠惰なアリである。視線を下げてもまだ寝巻きで、今日も寝癖が元気に頬へ下りてきてる。
「ねぇ、フレンチトーストはメープルでいい?」
思考に沈みきっていた間に、彼は調理を終えていたらしい。ほかほかと湯気を上げる黄金色のモーニングメニューに、思わず顔が綻んだ。
「ありがと。……」
彼がわたしを選んだことが、未だ何かの手違いだと思う時がある。というか、度々ある。
「もう。また悩んでるの?」
「! ……だってあなた、あの人の事好きだったじゃん」
自分でもわかるくらい拗ねた声が出た。どうやら思う以上に拗らせていたらしい。あまり目を合わせたくなくて、逃げるようにオレンジジュースの入ったコップを手にする。見かねたのか彼がやんわりと持ち上げようとする手を制した。
「きみを選んだことが間違いなんて、思った事ないよ。誰よりも心動かされるひとだって気付けた後から僕は、誰よりも幸せなんだから」
4/22/2023, 11:48:59 PM