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【楽園】

 かつて、〈楽園〉と呼ばれたSNSがあった。
 アバターを主体としたバーチャル空間式のSNS、いわゆるメタバースだ。地球をまるごと取り込んだかのような広大な世界、現実以上にリアルなグラフィック、冒険心をくすぐるゲームモード。世界中の人々が〈楽園〉に熱狂した。
 三年前には、SNSの登録者数世界一というニュースで三日三晩のお祭り騒ぎになって、人類史上最強と言われたサーバーが落ちかけたこともあった。そんな〈楽園〉も、当時の賑わいはいまや見る影もない。
「ほんとに人影ないなー」
 人間の大きさほどある兎型のアバターが、日本エリアのビル街をぴょんぴょんと跳ねていた。
 周囲はしんと静まり返っている。エリアごとに設定されたかすかなBGMやビル風の環境音以外は、兎が跳ねる効果音しか聞こえない。
 車すらない広々とした道路に向かって、信号機だけが律儀に働いている。ときおり、映像のカラスが空を横切る。
 まるで、人類だけが突然滅亡してしまったかのような有様だ。
「誰かいませんかー」
 兎が広大な疑似空間に向かって呼びかけても、
「はーい、なにかご用ですか?」
 どこからともなくさっと近寄ってくるのは、にこにこ顔の上にAIマークを載せたガイドアバターだけで、肉入りのアバターがいる気配はない。
 兎はしばらく周囲を跳ね回っていたが、やがて探索を諦めたのか、ため息をひとつ残して、その場から消えた。


 ひしゃげたベンチに座っていたセーラー服の少女が、短い髪を振ってVRグラスを外す。
「電池ぎりぎりまで捜したけど、痕跡ゼロ。世界チャットにすら反応なかったよ」
「そう。ログインしてる人は誰もいないってことね」
 ベンチの横でバイクにまたがっていたライダースーツ姿の若い女性が、けだるそうに黒髪をかきあげた。長い後ろ髪を、団子状にまとめはじめる。
「あーあ、サーバーが残ってるんならもしかして、と思ったんだけどな」
 少女がVRグラスを放り投げた。グラスは瓦礫の上で、がこん、と跳ねて、アスファルトの地面に落ちた。
「楽園のサーバーって、火星ドームにあるやつでしょ? メンテシステムが生きてる限り半永久的に稼働する、って触れ込みの」
「なんだ、楽園は火星にあったのか」
「すくなくとも、地球よりは火星のほうが楽園向きだったってことね」
 女性がまとめ髪の上にヘルメットを被る。
「火星なら環境過酷だからガチガチに対策するけど、地球だともともと暮らしやすかったから、油断してたよねー」
 少女が傍らのヘルメットを抱えてベンチから立ち上がった。ついでのように、あたりを見渡す。
 ここには兎が跳ね回っていたエリアと似た光景が広がっている――はずだった。道路はひび割れ、乗り捨てられたホバーカーはあちこちで通行を妨害し、信号機は息絶え、ビルは瓦礫となって、ホバーカーや他の建物を押しつぶしている。
 核戦争で大陸の主要国が軒並み潰れたうえ、立て続けに起きた大規模な地殻変動で、わずか一年のうちに世界中がめちゃくちゃになった。地球上で機能している国家は、もうどこにもないだろう。
 投げ捨てたVRグラスを視界に入れて、少女は、ふふ、と笑いを漏らした。
「なによ、急に。気持ち悪い」
「だってさ、人類はとっくの昔に楽園を追われてるのに、幻想の楽園を作っちゃうぐらい、まだ未練があったんだなーって」
「でも結局、楽園にはほど遠かったわよね。なんせ使うのが人間なんだもの、地獄みたいないざこざだらけだったわ」
 女性があごを振って、バイクの後ろを示した。少女はヘルメットを被り、後部座席にまたがった。
「使う人間がいない今は、ただの綺麗な廃墟だったよ。オイル集め、もう終わったの?」
 女性が親指を立てる。
「もちのろんよ」
「ミズキさん、もしかして、見た目よりおばさん?」
「だれがおばさんよ。まだ二十五よ」
 少女が女性の体に腕を回してしがみつく。女性はバイクのアクセルをふかした。
「それじゃ引き続き、あたしたちのアダムと楽園を探しに行きましょ」
「なんかもうそれ、どうでもいいや。人類なんて、滅びるなら滅びたほうが、地球のためじゃない?」
「これだからSDGs育ちは」
 女性がバイクを発進させる。二人の影はすぐに、アスファルトの埃の向こうに見えなくなった。



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土日祝日は基本的に書く習慣お休みです。5/2もお休みです。

5/1/2023, 5:30:19 AM