紙ふうせん

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私は小さい頃から変な事ばかりしている子だった。

その頃、銭湯に行っていたので、母は小さい弟を抱いて「お姉ちゃん、バスタオルをきちんと畳んで掛けてきてね」と言って先に入って行った。

私は言われた通り、バスタオルを几帳面にきれいに畳んで、腕にレストランのボーイよろしく掛けてお風呂に入って行った。

すると母が、妙に優しく「……服が入っているかごに、掛けてきてね」と言った。

そこで気がついた。そうだ、いつもかごがあり、皆、そこに脱いだ服や新しい肌着を入れ、上に見えないようにバスタオルをかけていた。

いつもやっているのに、何故その時そんな事をしたのか、一番知りたいのは自分だ。

小学校でも、運動会などで、入場が対角線に赤組のクラスと白組のクラスが、端から入場するのだ。
私は間違えないように、先生の説明をよく聞いて、翌日並んで待っていた。15分位経ってから、まわりを見ると知らない子ばかりだった。何故か分からなくて泣きたくなった時、「あ!やっぱり逆側にいた。先生が呼んでるよ」と、クラスの友達が迎えに来てくれた。

地獄に仏とはこの事だ。

ちゃんと聞いてるはずが、私はそんな事ばかりしていた。

でも、こんな私でも『大人』というものにいつかなったら、ちゃんとするのだと思っていた。そう信じて疑わなかった。


私は今は、世間的には立派な大人だ。

でも、違うのだ。私の思っていた『大人』というのは、変な失敗なんかしないでもっときちんとしているものだと思っていた。

私は今でも、相変わらず変な事ばかりしている。よく母に「困ったねぇ、もう○才なんだからいい加減、懲りなさいよ」とよく言われた。

私はかなり手酷い思いをしても、ケロっとすぐに忘れる。
そしてまた、同じ事をする。

そして、ようやくわかった。

きちんとした子は、きちんとした『大人』になるのだ。

だから私は、思っていた『大人』になれないのだ、という事を。

考えてみたら、変な子だった私が夜になると寝て、朝になると起きて生活をする、という事を延々と繰り返して来た結果が今の『私』なのだ。

みんな、子供が大きくなっただけなのだ。

だけど、どこから違っていったのだろう。

線を一本引いて、分度器でほんの5度に印をつけ線を引いていく。

最初は大した差はないが、先に行けば行くほど、どんどん差が大きくなっていく。
つまりはそういう事なのだ。

線を一本引いてその先にあるのが、私の思った『大人』なのだろう。

ところが、私は変な子だったのでたぶん5度ばかりズレてしまったのだ。

だから私は思い描いた『大人』にはなれなかった。

見た目は一応大人で、社会的にも普通に知り合いと会えば、ちゃんと挨拶もするし普通に会話も出来る。

だけど、その中身は昔の『変な子』がいるままなのだろう。

その代わり、普通、大人が思いつかない事を思いついたり、たまには役に立つのだ。

私の中の『変な子』と仲良くやるしかない。

だって、その『変な子』は紛れもなく私自身なのだから。

5/12/2023, 2:25:35 PM