【後悔】
闇の中に落ちていく間、私はずっと甲冑さんのことを思い出していました。
無理もなかったのかも知れませんが、やはり、隠れた優しさに気づけずに、一方的に酷く当たってしまったことが、私は悔しかったのです。
甲冑さんが亡くなった今、私を守る存在は一つとしてありません。
今はこうして落ちていくだけでも、もし、地面が現れたら、私は無事では済まないでしょう。
それで、運良く一瞬で死ねたならば、私はまた元の世界に戻れるかも知れない。
それに、例えばこの世界で死んで、現実世界の私の肉体も目覚めなくなったとしたら、それはそれで良いと思っていました。
もし死ぬことができたなら、こんなくだらない苦しみからも開放される。
今なら、自殺してしまう人の気持ちが分かるような気がしますね。
「死は救済だ」なんて、いかにも悪役の言いそうなことですが、生にしがみついて、無駄に傷ついて、醜く歪んでいくならば、死ぬ方がまだましだと、その時の私は考えていました。
そう思うと、今から死ねるかもしれないということは、とても幸福な事のようにも思えました。
私は口元にほんの少しの笑みを浮かべて、心があたたかく満たされていくのを感じました。
そして、甲冑さんとのある日を思い出しました。
甲冑さんは、以前お話したように、火を踏んで消したり、地面から壁を生やしたりと、魔法のようなことができる人でした。
毎日がつまらなかった私は、試しに、彼女にこう言ってみました。
「ねえ、いつも壁生やしたり、火ィ消したりしてるけど、他にも何かできたりするの?」
彼女は黙ったまんま、炊飯器をセットしています。
(また、無視か……)
予想通りの結果でしたが、やはり無視をされるのはこたえます。
私がガックリと肩を落とすと、甲冑さんはどこからか、木の棒を取り出しました。
私は、彼女は一体何をするんだろう、とぼんやり眺めていました。
甲冑さんは、その木の棒を焚き火に突っ込んで火をつけると、突然、棒を宙に向けてブンッと振りました。
私はいきなりのことで驚いていましたが、もっと驚いたのは、木の棒についていた火が、まん丸の球体になって、空中でチョンチョンと踊り始めたことでした。
そして、甲冑さんが、木の棒でその球を優しくつつくと、球は2つに分裂して、それぞれが円を描くように踊り出しました。
甲冑さんは、またそれぞれの球をちょんちょんとつつきます。すると球は分裂して4つになりました。
彼女はどんどん球の数を増やしていき、気がつくと、焚き火の周りは、小さな宝石のような橙の球でいっぱいになっていました。
すると、甲冑さんは、球を増やすのを止め、踊る球たちに向けて、木の棒を向けました。
すると、球達は、ピタリとその動きを止めました。
私は何が起こるのかと、ソワソワしていました。
甲冑さんは、棒を少し下げてから、勢いよく振り上げました。
すると、火の球達も、その動きに合わせて、少し沈んでから、物凄いスピードで、空に舞い上がりました。
また、甲冑さんが棒をふると、球は集合して、大きなクジラの形になりました。
火のクジラは、甲冑さんの指揮に合わせて、気持ちよさそうに空を泳いでいました。
私は感嘆のあまり、ため息が出ました。
ひとしきり泳いだあと、甲冑さんは、棒で丸を描いてから、棒を横向きにして静止させました。まるで、タクトで演奏を終えるかのように。
クジラは背面跳びをして、火の粉になって消えました。
私は、あの夢のような時間を思い出して、幸せな気持ちになりました。
しかし、それ故に、大きな後悔が押し寄せてきました。
思えば、甲冑さんは、言葉さえ話しませんが、本当の意味で私を無視したことはありませんでした。
私は幸せと後悔に挟まれて、何を言うべきか分かりませんでした。
真っ暗闇の中に落ちていきながら、もしかするとこれが私への罰なのかも知れない、そうだとするなら天罰下るの早すぎるよな、と苦笑しました。
そして、誰もいない闇の中に向かって一言だけこう言いました。
「あなたに出会えて、私はこんなに幸せだよ」と。
5/15/2024, 1:02:48 PM