【お題:海へ 20240823】
「で、次の日曜なんだけど両親が⋯⋯、和音さん、おーい和音さん、聞こえてる?」
「⋯⋯⋯⋯ちょっと待って、今降りてきた」
「りょーかい」
パソコンの前に座り、キーボードを高速で打ち出した彼女から視線を外し、僕はゆっくりとソファから立ち上がった。
こうなった彼女は、キリのいい所まで周りの事に無頓着になる。
さて、今回はどれくらいの時間帰ってこないだろうか。
僕の出張や和音さんの締切と重なって、ひと月ぶりに会えたんだけどな。
仕方がない、掃除に洗濯、それから夕食の準備でもしますか。
和音さんとの出会いは、普通じゃなかった。
その日僕は、高校からの親友の結婚式に出席した帰りで、車を2時間運転し家の近くまで戻ってきた所だった。
家に帰る前に、コンビニで酒とつまみでも買おうかと駐車して店に入った。
缶ビールにローストナッツとレンジで温める砂肝を買い車に戻ると、そこにはあまり見ることの無い景色が広がっていた。
「えっ?」
僕の車のボンネットを机代わりにして、何やらノートに書き込んでいる女性がいる。
通りすがりの人達がジロジロと無遠慮にその人物を見ては、足早に去っていく。
うん、その気持ちは僕にもわかる。
出来れば関わりになりたくない感じ。
少し肌寒くなってきたこの季節に、露出度の高い真っ赤なパーティードレスという出で立ち。
書き込んでいるノートもペンも恐らくは、そこのコンビニで買ったものだと思われる。
「あのぅ」
恐る恐る声を掛けてみるが、反応はなく只管にペンを動かしている。
その後も何度か声をかけたり肩を叩いたりしたのだけれど、一向にこちらに意識を向けることなく一心不乱にノートに書き込んでいる。
僕は諦めて車の中で待つことにした。
運転席に座って女性を正面から見る。
真剣な表情でノートに書き込む姿は鬼気迫るものがあった。
その様子をしばらく眺めて、はたと気がついた。
女性がノーブラであることに。
流石にこのまま見ている訳にはいかないと、視線をずらした所で女性の後ろに酔っ払いが二人ニヤニヤしながら立っていることに気付いた。
僕は慌てて車から降りて、上着を彼女にかけるのと同時に、酔っ払いに睨みをきかせた。
こんな時は194cmという、無駄に大きい体が役に立つ。
酔っ払いがそそくさと居なくなるのを見送って、女性の方を見ると変わらずにノートと向き合っている。
時間にして30分ほどだったろうか、僕は女性のボディガードのように彼女の後ろに立っていた。
「とりあえず、これでいいか⋯⋯」
後ろからそんな呟きが聞こえ、振り返るとそこにはボンネットに突っ伏している女性の姿が。
慌てて声を掛けてみても反応はなく、代わりに規則正しい寝息が聞こえてきた。
しかも⋯⋯。
「うわっ、酒臭っ」
さっきまで気が付かなかったが、なかなかに酔っているようで、その後肩を揺すってみたり、頬を軽く叩いてみたりしたけれど一向に起きる気配はない。
どうしようかと考えているとコンビニの店員が出てきて、長時間の駐車は迷惑なのでどいてくれとか言われ、とりあえず、女性を後部座席に押し込んでノートとペンと小さなバッグを助手席に積んで車を走らせた。
「さて、どうしようか⋯⋯」
自宅マンションの駐車場に車を止め、ルームミラー越しに女性を見る。
幸せそうな寝顔に若干の腹立たしさを感じるも、その整った顔立ちに目を奪われる。
「あ、そうだ」
バッグの中に何かないかと探ってみるが入っていたのは、スマホと家の鍵と化粧品だけで身分証明になるようなものは何もなかった。
最近では様々な場所で電子マネーが使えるため、財布を持ち歩かないとは聞くがこういう時不便だなと思う。
色々なデータがスマホに保存されているのだろうが、それも本人の了承がなければ見ることもできない。
このまま放っておく訳にはいかないし、かと言って警察に行くのも面倒で、とりあえずは部屋に連れて行くことにした。
客室のベッドに女性を寝かせて布団を掛け、一息ついて、シャワーを浴びて自分もベッドに入った。
その日は特に夢は見なかった。
「ほんっ当に、申し訳ありませんでした」
翌朝、リビングの床に正座した女性は土下座の勢いで、額を床にぶつけた。
彼女は作家で昨日は作家仲間とのパーティーの帰りだったらしい。
自覚はなかったが随分と酔っていたらしく、あまり記憶がないとの事。
ただ、ことの成り行きを僕が説明すると、彼女は再度額を床にこすり付け謝り続けた。
聞けばどうも彼女は、創作活動時は周りが見えなくなるタイプで、自分の世界に入り込んでしまうのだとか。
それも突然世界に入り込んでしまうことが多く、その所為で今までも色々と失敗しているのだと嘆いていた。
そんなこんなで、とりあえずその日は車で家まで送って、後日お礼をさせて欲しいとの事で、連絡先を交換した。
あれから2年と5ヶ月。
家も近かった事もあり、何だかんだと食事に行ったり飲みに行ったりするようになって、気が付くと二人でいる事が多くなっていた。
僕は初めの頃から彼女が気になっていて、それが愛に変わるのはあっという間だった。
勇気をだして、想いを伝えてダメだったらこの関係も終わりかな、とか考えていたのに彼女は『えっ?あれ?付き合ってたんじゃないの、私達』とか、言う始末。
一気に力が抜けて、情けなくもその場で泣いてしまった。
2ヶ月前にプロポーズをして、和音さんからOKの返事を貰った。
『姐さん女房かぁ』とか、呟いていたけど、僕はそんなの気にしてない。
それに年上と言っても5年分だけだから、平均寿命で考えたら丁度いいくらいだ。
「よし、掃除終わり。あとは夕食⋯⋯」
ビール以外入っていない、空っぽの冷蔵庫の扉を閉めて車のキーを手に取った。
和音さんの仕事部屋のドア枠をノックして中の様子を伺う。
相変わらず、すごい集中力とタイピングの速さだ。
「和音さん、買い物行ってくるね」
当然の如く返事はなく、聞こえるのはキーボードを打つ音だけ。
僕は伝言用のホワイトボードに『買い物に行ってきます』とメッセージを書いて部屋を出る。
今日も和音さんは想像の海へダイブしている。
この世界の柵を捨ててどこよりも自由な世界へと。
僕は戻ってきた彼女に、とびきり美味しい夕食をご馳走するため、ひとり車を走らせた。
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(´-ι_-`) 『海へ』で一番最初に浮かんだのは『みおくる夏』でした⋯⋯。
8/24/2024, 7:05:02 AM