谷折ジュゴン

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創作「耳を澄ますと」

微かな歌声が詩人の耳朶を打った。聞き慣れぬ、低く嗄れた声。音の源は寡黙な音楽家の口であった。赤茶けた岩に腰かけて故郷の古い民謡を試すように歌っている。

詩人は彼に気づかれぬように岩へ凭れた。二人の故郷では音楽が禁じられ、その傷心から彼は声を失っていた。だが、たった二人だけの気ままな旅が彼を癒したのだろう。今では朗々と、旋律へ言葉を乗せていた。

伸びやかなバリトンが、乾いた大地に根を張るが如く彼の口から響き渡る。此れ程までに溌剌とした彼の横顔を詩人は生まれて初めて見たような心地がした。

歌い終わった彼はしばし虚空を眺めた後、振り返って、はっとする。そして照れ笑いと共にテントへと入って行った。

それ以来、音楽家が詩人の前で歌うことはなかった。だが時々、耳を澄ますと聞こえる。音楽家の楽しそうに口遊む声が。
(終)

5/4/2024, 2:28:38 PM