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【後悔】

たとえば、友人から貰ったサボテンを枯らせてしまったとか。たとえば、試験期間中に部屋の掃除ばかりしてしまったとか。たとえば、ホワイトデーにお返しをしなかったとか。
 これまでの人生、後悔したことは多々ある。でも、いまの状況に勝る後悔はないだろう。
 ベッド横で胡座をかいた俺は、額に手を当てて呻いた。
「なんでこいつを部屋にあげちゃったんだろ……」
「こいつときたもんだ。私、宮田ハルカって言います」
「二年前から知っとるわ。気分が回復したならさっさと帰れ」
「やだ。もう終電ないし、ここから歩くと私の家まで一時間かかるんですよ。うら若き乙女に一人で夜道歩かせようってんですか? 鬼、悪魔、先輩!」
「鬼と同列に並べんな」
 サークルの後輩は我が物顔で俺のベッドを占拠している。ゆうゆうと寛ぐそいつの頭を、俺は拳でコツンと叩いた。
「パワハラだー」
「おう、お望み通りパワーでモノ言わせて追い出すぞコラ」
 鍛えあげた自慢の腕を鳴らすと、宮田はキャッキャと笑いながらベッドを転がった。だめだこの酔っ払い、早くなんとかしないと……。
「そもそも宮田と一緒に飲んだことを後悔すべきだったわ。誘われた時点で断れよ、俺。女子苦手なくせに」
「えへへ、だって私の二十歳の誕生日ですよー。解禁日ですよー。先輩と飲まずにいられないでしょー」
「誕生日祝いが二人だけとはびっくりだよ。友達いないんだな。知ってたけど」
「副業のせいで忙しくて友達作るヒマないんですー。だからお祝いにかこつけて先輩と仲良くなれたのが嬉しくて、つい飲みすぎちゃったー」
 てへぺろ、と死語が聞こえてきそうなぐらいお手本の表情で舌を出す宮田。
「だからってうちのトイレとまで仲良くするこたないだろ」
「お近づきの印にちょっと掃除もしておきました」
「そりゃ見上げた心がけだが」
「なんなら明日の朝ごはんも作ります!」
 枕を抱きしめて転がった宮田が、上目遣いに俺を見つめる。
「だから、泊めてください」
 あざとい。あまりにもあざとすぎる。こんな見え透いた演技で籠絡できると思われてるなら、俺もずいぶん舐められたもんだ。
 わざわざ俺の家の近くに来て飲んだのも、べろべろに酔っ払って道端で寝そうになったのも、きっとすべて計算と演技なんだろう。
 こいつの狙いはわかっている。俺の体だ。……というより、首だ。
「お断りだ。エクソシストと同じ部屋で安心して寝られるか」
「えっ、バレてた?」
「匂いでわかるっての。あんた強そうだし夜道なんて余裕だろ。ほら、俺を殺す気じゃないならさっさと帰れ。枕も離せ」
 俺は立ち上がり、宮田の腕を引っ張って起こそうとした。
「えへへ、強いってわかりますー? お褒めにあずかり光栄です。でも、帰りません!」
 宮田はようやく枕を離して上半身を起こしたが、ベッドに腰掛けただけで、まだまだ立ち上がる気配はない。
 俺はため息をついた。
「酒飲み初心者をぐでんぐでんにさせちまったから、責任とって看病せねば、なんて仏心出したのが運の尽きだったわ。俺、悪魔なのにな」
「あはは、悪魔がエクソシスト相手に仏心、面白いですね」
「笑ってる場合か」
 正体のバレた悪魔とエクソシストが同じ部屋にいるなら、やることは決まっている。
 戦いだ。
 俺の体がじわじわと変化していく。人間の体から、悪魔の体へ。爪が伸び、手の甲が毛に覆われる。顔も毛むくじゃらになり、マズルが伸びる。人間の耳が毛に覆われて消滅し、代わりに狼の耳が頭上に生える。むずむずと膨れた尻尾が、服の隙間から飛び出す。
 俺の変化を見ていた宮田の目が、鋭く光った。エクソシストの目だ。
「一応言っておくが、俺は人の〝後悔〟を食って生きる種類の悪魔だ。そのために人と契約し、人を陥れ、人を死ぬほど後悔させる同類も数多いる。でも、俺はそのへんの人間のささやかな後悔や自分の後悔だけで満腹できるから、あんたらに狩られるような悪さはしてないぞ」
「へええ、先輩はエコな悪魔なんですね。自給自足とは」
 宮田の手中に、音もなく拳銃が現れた。エクソシストの法力で作られた武器だ。……飛び道具持ちか。厄介だな。宮田に喧嘩を売ったことを、俺は早々に後悔しはじめていた。
「悪魔は悪魔で、後悔することが多くてね……」
 子供のころは悪魔の力をコントロールできずにサボテンの生気を吸って枯らせてしまい、プレゼントしてくれた友人の顔を曇らせた。俺が修行をサボらなければ、サボテンを枯らすこともなかっただろうに。
 学校の試験期間中はいろんな人間の後悔が押し寄せてくるから、満腹を通り越して気持ち悪くなってしまう。学校を早退し、自室に篭もって掃除で体力を消化することも多かった。試験はもちろんさんざんだった。俺が修行をサボらなければ、余計な後悔を遮断して、試験に集中できたのに。
 ホワイトデーをスルーしたせいで、女子たちから目の敵にされるようになってしまった。悪魔が人間の好意に応えるわけにはいかないから、しかたがなかった。そもそもあの子と仲良くした俺が悪かった。以来、俺は「女子が苦手」だと公言するようになった。なのに、ゲロ吐きそうな宮田を道端に置いておくわけにもいかず、女子を自分の縄張りに入れてしまった。そしてこの結果だ。
 もっとこうしていれば、あのときこうすれば、あんなことをしなければ――
 俺の人生、いや悪魔生、後悔ばかりだ。
 でも、いまエクソシストに殺されたら、もっと後悔することになる。
 俺じゃなくて、父さんと母さんが。
 俺は宮田が引き金に指をかける前に、飛びかかった。
 多少乱暴な扱いになるが、宮田を殺すつもりはない。気絶させてタクシーに放りこむか、力で押さえこんで説得できれば上々だ。もし人を殺しでもしたら、俺が人間として生きられるように育ててくれた両親の努力が、無駄になる。悪魔の力を抑えるための修行をつけてくれた爺ちゃんや、人間の世界に馴染もうと努力してきた母さんや、母さんのことをひた隠しにして守ってきた父さんの努力も、無駄になってしまう。
「いくら俺が後悔大好きな悪魔だからっても、悪魔のハーフに生まれたことまで後悔したくはないし、させたくもないからな!」
 宮田は俺の手を難なく避けて、ベッドに転がった。俺が振り下ろした第二撃を躱しざま、跳ね起きる。ついでのように繰り出された蹴りを、俺は半身で躱す。体を捻った勢いのままベッドに乗り上がり、宮田を隅に追い詰める。飛び道具相手に、間合いをとるようなことはしない。
 宮田の拳銃を狙って振った爪は、紙一重で避けられた。すばしこいやつめ。俺の連撃を避けて、宮田がベッド際の壁を蹴って跳ぶ。なんつう運動能力だ。俺が次の構えをとる前に、天井スレスレで頭上を飛び越えていく。もう背後をとられた。やはり強い。着地の音。喧嘩なんか売るんじゃなかった。引き金の音。部屋にあげるんじゃなかった。
 覚悟した弾丸は、いつまで経っても俺の脳天に刺さらなかった。その代わり、しゅばっと音をたてて飛来したなにかが、俺の体に巻きついた。
 俺はあっけなくベッドに転がされた。
「な、なんだ……?」
「拘束用の紐です。私、血生臭いことは苦手なので」
 宮田がふっと吹く真似をした銃口から、クラッカーみたいな細い紐が伸びていた。俺をぐるぐるに縛り付けているのはその紐だ。エクソシストの法力で作られているから、俺の怪力でも切れない。
「普段はペア組んで仕事してるんですよ。血みどろシスターって呼ばれてるかたと」
「……そいつがここにいなくてよかったよ」
 俺はまだ命があることにほっとしていた。とはいえ、この絶体絶命な状況はどうにもならない。血みどろシスターを呼ばれたらおしまいだ。
 宮田はまだスマホで連絡するそぶりを見せていない。きゅっと唇を引き結び、ベッド脇からじっと俺を覗きこんでいる。あれ、なんだか力が満ちてくるような……?
「……宮田、もしかして、なにか後悔してるのか?」
「さっすが、お見通しですね。私いま、エクソシストになったこと、思いっきり後悔してるんですよ。どうしてだかわかります?」
「薄給なのか?」
「そうそう、ほぼ慈善事業なんですよ。呼び出しも四六時中でブラックだし……って、そうじゃなーい」
 俺を拘束していた紐がふっと消えた。
「私、べつに仕事でここに来たわけじゃありませんから」
「は? 俺の首を獲りたくて、あんなにあざとく居座ろうとしてたんじゃないのか?」
 俺は警戒を怠らずに上半身を起こした。

「あ、あざと……く……」
 宮田の顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
「な、ななな、なに言ってるんですか! 女の子に恥をかかせないでくださいよ! 先輩のバカ! 鈍感! 悪魔!」
「つまり……ただの面倒くさい酔っ払いだったってわけか」
「お、お酒は今後控えます! ムリヤリ居座ろうとしたことも謝ります! 酔いが醒めてちょっと冷静になりました! 先輩のご迷惑も考えずに、すみませんでした!」
 宮田はいきなり床の上にかしこまって、深々と額を下げた。
「先輩が悪魔だってのは勘付いてたんですけど、ハーフですし、近づいてみたら顔に反して人畜無害そうですし、むしろバカみたいなお人好しですし、退治しなくていいやつだと思って、教会にも報告してないんです! 信じてください!」
「いま、さらっと傷つくこと言ったな?」
 俺はベッドから降り、宮田の頭を人間姿の拳でコツンと叩いた。
「俺も勘違いしてたのは悪かった。正直、宮田がサークルに入ってきたときから警戒していた。でも、宮田のいまの後悔は本物だし、信じてやるよ」
「じゃ、じゃあ……!」
 顔をあげた宮田がぱっと目を輝かせる。なんでこんなにコロコロ表情を変えられるんだ、こいつは。
「だからと言って、女子を泊めるわけにはいかないぞ。タクシー代は貸してやるから、さっさと帰れ」
 俺は宮田の腕を掴んで立たせると、玄関まで追いたてた。忘れ物がないよう、荷物もかき集めて押し付ける。タクシー代も押し付ける。
 去り際、宮田は俺を振り向き、べーっと舌を出した。おい、さっきの反省はどこいった。
「乙女心を無碍にしたこと、この先たくさん後悔させてあげます。私、しつこく先輩を狙いますからね」
「……好きにしろ」
 強い後悔を抱えたこいつが近くにいるなら、俺はとうぶん食べ物に困らないな、そんなことを考えて、その場はつい肯定的に答えてしまった。……もちろん、すぐに後悔することになった。

5/16/2023, 3:21:07 AM