善悪というものは
その時代その場所その理由で異なるもので
例えば殺人とて
ただ徒に殺すのは悪だけれども
罪人を処刑するのは善であると
そういう人、土地、国もある
ただまあ善悪という概念が時により
うつりかわる曖昧なものであるからといって
それが全くの無意味で
無価値なものであるかといえば
それは違うだろう
善悪というものは
人間が繁栄・生存する上で必要として
発明された道具であるから
そりゃあその時その時使い易いように
作り直されるのは当然といえば当然で
ならば生きていく上で
とくに注目すべきだと私が思うのは
製造者と、使用者だ
大方、暫くの間雛形を作るのは暇人だ
要するに哲学ができる人と
生存の為の行いを他人がやってしまう人
人を使う人
そしてその雛形を大多数の民が
「それで良し」「いたし方なし」
とすれば完成だ
しかしそれもそろそろ変わるらしい
或いは戻ると言った方が正しいのか
兎にも角にも善悪とはなにか
考える知恵と暇を持てる人が増えたということだろう
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尚、上記の「善悪」は人の善悪であり
神の「善悪」ではないものとする
「善悪」
4/26/2024, 12:48:57 PM