海の底
意識の底
事象の底
水に包まれて
目覚めた時には時間も消えていた
何故息が必要ないのか
何故美しいモノが居るのか
自分は何故ここに居る?
何がどうなった
あの人はどこでどうしてる
寒くないのは不思議じゃない
…ここ何処だ
美しいモノが言った
「やっと開けたか、拒んだ子よ」
心当たりがあることだが
「ことばを変えよう、己を赦せぬ子よ」
そうか、そうだな
「問うたな。子細だ」
海戦は別に劣勢ではなかった。むしろ優勢に進んでいた。当艦に死者も負傷者もなく、旗艦指示に従って移動を始める準備作業の僅かな時間中、直近艦で火が出た。誘爆の危機。周囲は僚艦がいくつも近くあって、単体で回頭するのも無理。第一、この風では火事を起こしている艦から無難な距離を取るにも時間がかかりすぎる。縦列の多段に渡る陣は風下側の船脚を鈍重にしている。仕方ない、人員の喪失は戦力の喪失だ。火災艦の反対側に居る僚艦へ全員を退避させた。艦は無事ならまた乗り込めばいい。
自分が最後に移乗しようと火災艦に背を向けた時、爆発した。火災艦は平底船で、火薬庫は喫水線より上に格納するほか無い型だったから、船は派手に四方へ吹き飛ぶ。爆発で破砕された船材も音を立てて飛ぶ。音が来た、と思ったら自分の左肩頸がふっ飛んで、二度目の爆発衝撃で海へ落ちた。
「罪悪感の割にはきれいに死んだな」
そうらしいな
で、ここ何処だ。それに、この声は誰だ
「ここは我の領分なるところだ。海で生きるものの友だよ。ここに率直の匂いを嗅いだ子供よ、楽しかったろう?」
…楽しいと言えばそんなときもあったし、そうじゃないときもあったぞ
「さて、逝くには引きを持っているようだ。挨拶くらいはしてくるが良いよ」
なんとなく胸に手をやるとジャラと触る。見ると深く暗い青の石が嵌まった装飾品が頸にかかっている。この石飾りの来し方を思い出した。これはずいぶん大切なものの筈だ。あの人の手許に…返せるのか?
「それは励ましのよすがになりそうだ。祝福とともにするなら助力しよう」
助けを受けよう。…えーと名前は
「イアラだ。IALA」
こちらが名づけるのではないのだな
「我はそういう“概念の焦点”などではないのだよ。さあ、行っておいで。彼女が夢と現の狭間にあるところへ」
ひどく懐かしく感じる寝顔の近くの棚に、それを置いた。ボタボタと水も一緒に落ちる。これじゃ幽霊話みたいじゃないか。俺はそんなおどろおどろしい者じゃないぞ。…不本意だが仕方ない、これ以上水の跡を残さないように、もう行くか。どうか、彼女の日々に幸福の多いことを。本当は、人生を共にできたらと望んだが、こうなってはどうしようも無い。どうか、幸せに。どうか、どうか…
「良いようだね。じゃ、次へ逝くんだ。たくさんの土産話を話すのだよ。愛したものごとのことを、余さず、たくさん。我はおまえさんの他の人生にも居る。いつでも呼ぶと良い。まあ、呼ばれなくてもあれこれと働きかけるのだがね」
イアラは通路を開いた。海の底からどこかに向かう通路を。まだ航海があるんだな、と思いながら、進み出した。
1/21/2024, 3:51:16 PM