郡司

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ふたりぼっち、と聞くといつか流行った歌を思い出す。当時もよくわからなかったけれど、今もよく考えてみないと、いまいちピンと来ない。

語源を「ひとりぼっち」で探してみたら、「独り法師」なのだそうだ。どの宗派にも属さず或いは離脱して、ひとりでいる僧侶。これだけ見るぶんには現代で言う「ひとりぼっち」の寂寥感や孤独感は薄い気もする。そういえば、以前はたまに、街の中に虚無僧が歩いているのを見かけた。あれは修業のひとつだそうだ。

「ふたりぼっち」で単純に浮かぶ印象は……うーん、寂しいものだ。夕暮れのなかにこどもふたり、寄る辺も心細いような不安感。ただの迷子ならおうちへ帰るためのつなぎをしてあげれば解決だが、それも大丈夫なのか心配になってしまう昨今…というような、なんだかモヤモヤしてしまう感じ。ふたりぼっち反対。

昔、実家の向かい側のアパートには、お母さんと小さなきょうだいが暮らしていた。お仕事か所用か、夜に出かけている日も多かったようで、何度か下の子が暗い中お母さんを探しに外へ出て、上の子が追って来て連れ帰ることがあった。一度だけ、強い雨降りの夜遅くに、下の子が傘も持たず靴も履かず(本当に小さな幼児だったからだろう)、道に出ていた。それを見つけたうちの母が大判バスタオルでその子を包み、抱っこしながら家の外で子どもたちのお母さんが帰って来るのを待った。ほどなくお母さんが帰って来て、頭を下げ下げ、子どもたちと家に戻って行った。念のため言い添えるが、このお母さんは子どもたちに優しい、常識的でコミュ力のある人である。

とにかく、小さな人たちの「ふたりぼっち」は、見ていて不安感がある。心配感を通り越して不安感なのだ。

3/22/2024, 12:48:58 AM