今宵

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『てぶくろ』


〝てぶくろあり〼〟
 ふとそんな立て看板が目に入り、私は足を止めた。
 そこは大通りを一本入った細い通りの道沿いで、時々車が通り過ぎる他に人通りはほとんどなかった。
 両隣の建物にぎゅっと挟まっているかのように間口が狭く、おそらく奥行きもそれほどない。
 木製の扉は滑らかにやすりがかけられた丸ノブがついていて、足元にある小窓からは温かい明かりが外にもれている。
 視線を上げると、突き出し看板が主張もなくそこに存在していた。
「──てぶくろ屋」
 初めての響きを、口に出して確かめてみる。
 ここは手袋の専門店なのだろうか。
 私はその店にとても興味を惹かれた。ちょうど新しい手袋を探していたところだったのだ。
 今、時刻はちょうど夕方を過ぎた頃だったが、表に立て看板が出てるのだから店は開いているのだろう。
 日が落ちた通りに冷たい吹き込み、思わず肩をすぼめる。
 私はコートのポケットに突っ込んでいた手を外に出して、店の入り口に伸ばした。

 扉を開けるとカランコロンと音がした。
 店に入ると他に客はおらず、店の造りは見回すまでもなくとてもシンプルだった。
 小さな店だから、そのスペースをいっぱいに使ってたくさんの手袋が並ぶのかと想像していたが、実際には店の幅と同じだけのショーケースが店の奥の方に1つあるだけだ。
「いらっしゃいませ」
 ショーケースの向こうに立つ店主らしき女性と目が合う。
 思わず、私はドキッとした。
 艶のある黒髪は肩の上でぷつりと切りそろえられていて、小さな顔は陶器のように澄んだ肌をしている。そして何より、彼女はこの上なく美しい顔立ちをしていた。それはまるで、誰かによって完璧に作られた人形なんじゃないかと思ってしまうほどに。
「寒い中、ようこそおいで下さいました」
 同性であるにも関わらず、その美しさから目を離せない私に向かって、店主が小さく微笑みかける。
 私は精一杯の気持ちで会釈を返す。
「てぶくろをお探しでしたら、どうぞこちらをご覧下さい。きっとお気に召す品があるかと思います」
 店主に促されるままに、私はショーケースの中を覗き込んだ。
 そこに並ぶ手袋は、数にして10にも満たない。
 だが、何故だろう──頭に疑問が浮かぶ。
 どうしてここにある手袋は全部片方だけなのだろうか。
 レイアウトとして手袋を片手だけ並べることはあるのだろう。だがおかしな事に、目の前の手袋はそれぞれ右手用だったり左手用だったりと、てんでばらばらに並んでいるのだ。
「あの……どうしてここには手袋が片手ずつしか置かれていないんでしょうか」
 そう尋ねた私に店主が再び微笑んだ。
「片方だけを必要とされているお客様がいらっしゃるからです」
 店主の言葉に頭をひねる。
 そんな客など本当にいるのだろうか。
 そう思いながら再びショーケースに視線を落としたその時、見覚えのある手袋が1つ、目に飛び込んできた。
「これ!」
 そこにあったのは、先日失くしてしまった手袋と全く同じ手袋だった。それも、私が失くしたのと同じ右手用だ。
 今日、私はこの店に新しい手袋を探しに入ったものの、本当は前の手袋のことを諦めきれずにいた。あれは昔、母に貰って以来とても大事にしていた手袋だったからだ。
 こんなことがあるなんて、と思うものの、目の前の片方の手袋は確かに私が1番欲しかった手袋だ。
 随分昔のことなので、もう手に入れることはできないと思っていた。失くさなかった方の手袋は、今もちゃんと家の押入れにしまってある。
「あの、この手袋を下さい」
 自然と声が弾む。
「かしこまりました」
 店主が手袋を綺麗な紙で丁寧に包んでくれた。
 私はその包みを、もう二度と失くさないようにしっかりと胸に抱きかかえる。

 店を出る時、彼女の言葉を思い出した。
 振り返って、店を見上げ、そして思う。
 ──この店がある理由が、今やっと分かった。

12/27/2024, 8:50:36 PM