一年後
母が、煎餅が入っていた大きな空缶をくれた。中身は机の上に茶請けとして鎮座していて、私はそのうちの一つを手に取った。
「なんで急に?」
個包装の煎餅は、袋を破って齧り付くとばりんと小気味いい音を立てて崩れた。溢れてしまった破片を指に押し付けるように回収して袋の中に戻しながら、煎餅を咀嚼した。甘塩っぱい醤油の味がたまらない。
「なんか、懐かしくなっちゃって」
「何が?」
「幼稚園の頃、タイムカプセルを埋めたでしょう。あなたが覚えてるかは知らないけど、手紙やいろんなものを詰めて。あれ、開けるのは来年の予定なのよ。覚えてる?」
母は私と同じように煎餅を齧り、あつあつのお茶を啜った。
「ああ、あれねぇ」
ぼんやりとしか覚えていないが、子供の頃、ことあるごとにタイムカプセルを埋めたという思い出は残っている。校舎の側にあった小さな畑に銀色の缶を埋めたのは小学校だったか、幼稚園だったかは定かではないけれど。
「私はあなたが何を入れたかちゃんと覚えてるのよ」
「ええ、すごくない?私全然覚えてない」
「あっという間だったなぁ、こんなに大きくなって」
にこにこと笑う母に心がくすぐったく感じて、熱いお茶に口をつけて舌を火傷した。
「この缶、タイムカプセルにする?」
火傷した舌の先に押し付けるように氷を頬張りながら、私は何の気なしに呟いた。
「え?」
「お母さんと私の大切なものを入れておくの。10年後ぐらいに開けてみたらいいんじゃない?」
頬杖をついて母の方を向けば、一瞬眉根を寄せてからふっと微笑んで、「……面白いかもね」と呟いた。
「中身、お互いにわからないようにしとく?」
「いいじゃん。お母さん絶対にこっち見ないでよ」
「っていうか、10年って少し長くない?」
「あっという間だよ。私が35歳になったら開けよう。きっとすぐだよ」
結局、母も私も中身が見えないように小さな紙袋にそれぞれ思い思いの物を詰めて、一緒に缶の中にしまった。私は母への感謝の手紙と、母が行きたがっていた北海道旅行へ行けるようにと、貯金からお金を封筒に入れて、封筒にでかでかと「Go To SAPPORO」と書いた。
缶を埋めてしまって探せなくても困るので、実家の屋根裏に開ける日付を書いた紙を巻いてしまい込んだ。缶を屋根裏に押し込んだ母の顔は楽しそうで、どこかとても寂しそうだった。
まだ綺麗な封印の紙を破る。書類でとっ散らかってしまった机の上に雑に缶を置いた。開けるかどうしようか、悩んだ末に蓋に手をかける。
「……開けるよ、お母さん」
存外簡単に開いた缶の、上側にあった紙袋は私が詰めたものだ。手紙を取り出してそっと母の前に置いた。下に入っていた紙袋を取り出す。あの日、屋根裏で見た母の表情がまだ目蓋の裏にこびりついていた。
紙袋の中には、小さく折り畳まれたメモ用紙と、封筒。厚みのある封筒を先に手に取って中身をチラリと見る。「一緒に北海道に行こう!」とだけ書かれた付箋と共に、お札が何枚か顔を出した。
「……お母さん、なあに、これ」
私と同じこと考えてたんだね、そう思いながら今度はメモを開いた。手紙じゃなくて、本当に普通のメモだ。うさぎの絵が描かれた、キャラクター物の文房具などを置いていそうな店にあるような、ファンシーなメモ。
『黙っててごめんね、愛してる』
私はグシャリとメモを握りつぶした。
柄に似つかわしくない内容の文字は、間違いなく母の文字だ。半年前、病気の悪化で他界した、母の。
とっくに泣き尽くしたと思っていた私の目からぼろぼろと涙が溢れた。何も教えてくれなかった。通院をしていたのは知っていたけど、糖尿病の治療だと言っていた。私もそれを信じていた。悪性腫瘍があったとわかったのは、母が亡くなってからだ。こっそり治療していたようだが、完治することはなかった。あの日、あの一月後、私が実家を出た時にはもうすでに転移が進んでいたとか、なんとか。親戚たちは私がキャパオーバーにならないように、細切れに、残酷に、母の病のことを伝えてくれた。
「心配させたくなかったのよ」
この半年で聞き飽きた言葉だ。母はまるで死期を悟った猫のようだった。弱みを私に見せず、1人でずっと戦って、私にさよならさえ言わせてくれなかった。
ぐしゃぐしゃのメモを丁寧に伸ばして、仏壇の前に立つ。
「約束、守れなくてごめんね」
母に宛てた感謝の手紙を、お供物の一番上に置いた。たった一年じゃ、手紙の内容を忘れることもできなかった。
おりんを鳴らして手を合わせる。やっぱりあの日見た母の顔が過ぎって、頬を涙が伝った。
『お母さんへ』
『いつも、わたしのことを一番に考えてくれてありがとう』
『友達みたいなお母さんは、わたしの理解者で、憧れの人で、大事な人です』
『今まで与えてくれた愛を、これからは私がいっぱい返していくから』
『これからも元気でいてください』
5/8/2023, 4:21:30 PM