川の中には神様が住んでいる。
私の故郷である小さな村では、そう言い伝えられていました。
黄昏時は川に近付いてはいけない。
神と人の境が交わる時間帯だから、もし、黄昏時に川に近付けば、悪戯好きの神様に川に引きずり込まれてしまう。
子供の躾に使う、与太話です。
全く馬鹿げている物ですが、私は幼い頃、これを信じきっていました。
何も、親から聞かされた話を鵜呑みにした訳ではありません。最初は、今のように馬鹿な話だ、と笑い飛ばしていたのです。
始まりは、友達と他愛もない“おふざけ”で、黄昏時に近所の川へ遊びに行ったことでした。
その友達も私と同様に、神だのなんだのと言った話は信じておらず、何度も何度も口煩く同じことを繰り返す大人への、ちっぽけな反抗心。
それだけのために、私達は黄昏時の川を訪れました。
特に、遊んでる間に変わったことは何もありませんでした。
なぁんだこんな物か、と拍子抜けしたほどです。
やはり大人な嘘つきで、私達子供を縛り付けたいだけなのだ、とそう感じました。
川遊びに飽きて帰路につきました。
家の前に辿り着いても、何も起きませんでした。
ただ、一つ。
別れ際友達が「川の声が聞こえる」と、ポツリと呟いたことだけが、やけに気になりました。
そしてその友達は四日後、私と遊んだあの川で、水死体となって発見されました。
その時の恐怖といったら。
一日中布団の中に蹲って、用を足しに行くことすらままならない状態でした。
本当に神様は居て、そして、言い付けを破った悪い子供を、川に引きずり込んでしまったんだ。そう思うと、例え便所だとしても水場に近付く気は起きませんでした。
それからの私は、神様という存在をすっかり信じきってしまったのです。
決して自分も殺されてしまわないように、必死に言い付けに従いました。
昼だとしても川には近付かず、黄昏時になれば、川が近くに無かろうとすぐに家に帰って、眠りにつくのです。
それが唯一生き残るための手段だと、当時の私はそう信じきっていたのです。
今は?いえ、もうそんな馬鹿げた妄想に取り憑かれてなどいません。
結局、友達のあの死はただの偶然なのです。
まだ年端も行かない子供が、川で遊んで死ぬなんて、よくあること。
そう言った悲しき事故を防ぐために、ああいった薄暗くなる時間帯に川で遊ぶな、なんて言い伝えが出来ただけで、神様が実際にいるなんてそんなことはあり得ない。そのはずです。
あの友達が死んでから、もう何年も経ちました。ですが、私は今もこうして生きている。それが、私の中で神様が居ないという確固たる証拠になっていたのです。
だから、そう、だから。
耳の奥で聞こえる、この小川のせせらぎは、私の幻聴でしかないのです。
『声が聞こえる』
9/22/2024, 5:09:37 PM