ミミッキュ

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"友情"

他人が見たら、なんて言われるか。
"絆"だったり"共に戦う仲間"だったりが出てくるかもしれない。
全てを引っ括めて言われれば"友情"、かもしれない。実際俺たちそれぞれの武器は、鏡は"剣"で俺は"銃"。
近接武器と遠接武器。俺は鏡の動きやすいように射撃、鏡は俺が万全の状態で攻撃できるように切り開く、いつもの俺たちの連携だ。
初めの頃はそんな戦い方をするどころか、共に戦う事すら不可能なくらいいがみ合っていたが、今ではそんな頃があった事が嘘のよう。
鏡は、外科医なので体力はあるが無駄に体力を使うような戦い方をしていたが、連携して戦うようになってから次の攻撃が早くなっていった。
俺も、近接攻撃は出来るが極力は銃で、というより相手と十分なリーチを取って体制を整えながら戦う方が性に合うので、共闘し始めてから俺が体制を崩す度近くの敵を切ってくれるので正直助かってる。
プライベートでは、ほとんど共通点がない。共通点と言える事は"同じ大学を出ている事"と鏡はまだ現役だが"同じ病院で働いていた事"、この2つだけ。
けれど、俺の性格上鏡くらいの距離感が心地良いと思っている。まぁ最初こそ必要最低限の事しか話しかけてなかったが最近では、院内の中庭に咲いた花だったり、病院近くの公園をナワバリにしている野良猫の話だったりと、全く他愛もない話を切り出してくる事がある。初めは戸惑ったしどう返せばいいか分からなかったが、最近は実はちょっとした楽しみの1つだったりする。だから俺からも、廃病院によく来る野良猫の話だったり、うちの近くの公園に咲いた花の話だったりを"お返しに"とするようにもなったし、周りのちょっとした変化を見つける度に、その事を早く鏡に話したくなる。
だが、1つ気がかりな事がある。それは鏡をよく目で追うようになってきている事と、少し離れただけで鏡の顔が脳裏にちらつく事。これが一体何なのか"知りたい、分かりたい"と思う反面、"知りたくない、気付きたくない"とも思う。矛盾した心がずっとあってモヤモヤしてムズムズする。けれど俺はこの感情を知っている。知っているはずなんだが、この気持ちに名前を付けてしまったら、これまでのお互いがお互いの攻撃をサポートし合う関係も他愛もない事を話し合う関係も、そんな俺たちの"友情"が、壊れてしまうのではないかと思うと、胸が張り裂けそうになって苦しくて辛い。ならこのまま、この気持ちに名前を付けないまま、今までと変わらずに過ごせばいい。別に、全ての感情に"名前"を付けなくていい。そう、それが1番、俺の心を守るための、唯一の方法、だから…。

7/24/2023, 12:05:02 PM