結城斗永

Open App

『クジラの落とし物』第五話
※2025.10.5投稿『moonlight』の続きです。

【前回のあらすじ】
セイナたちは【クジラの丘】に辿り着くが、強固な鉄柵に阻まれ中へ入れない。掲示板で見つけた【ユト】の投稿から、彼もまたホヅミを探していることを知る。そこでユミから、ホヅミが『眠ったまま目覚めない』と明かされる。 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「――ホヅミは……交通事故の後から、ずっと意識がないんです」
 か細いユミの声が、鐘の音の余韻と交わるように空気の中へ消えていく。直後、それをかき乱すようなマドカの声が響く。
「まさか、意識だけここに飛んできたって言うの?」
 彼女の口調には疑心が滲んでいた。だが、俯いたまま黙り込むユミの表情には、確信めいたものがあった。
「何か、思い当たる節があるんですね?」
 私の言葉にユミが小さく頷く。
「同じだったんです……。ホヅミのスマホに残っていたログイン通知のメールと、事故が起きた時間が――」
 ユミの言葉を聞くマドカの表情は相変わらず怪訝そうだった。
「そう信じたいのは分かるけどさ……」
 マドカの言葉に、私は思わず彼女を視線で制す。それ以上言葉を続ければ、ユミはきっと絶望の縁に立たされることになる。マドカはバツが悪そうに言葉尻を濁して口を尖らせる。 
 しばしの沈黙が続く。まるで世界から音が消えたかのような静寂の中で、私たちは干渉し合った波が収まるのを待つように口を閉ざした。 

 ひとまず村の外れにある無人の教会で夜を明かすことにした。三人とも疲れが出ていたし、なにより整理したいことが多かった。 
 教会の窓越しに差し込む細い月の光が、埃の粒を金色に浮かび上がらせる。
 礼拝堂の冷たい床に古びた布団を敷き、マドカと私は肩を並べて横になる。ユミは「少しだけ外の空気を」と言って、外へ出て行った。

「セイナ、さっきの話……信じる?」
 二人だけになるのを待っていたように、マドカが切り出す。 
「分からない。でも、嘘をついてるようには見えない」
「案外私たちの肉体もあっちにあったりして――」
 マドカが静かに放った言葉が、自分自身の内面に感じている違和感と触れ合って揺れる。
「そうかもしれない」
 そう答える自分の声が震えていた。

 ユミの様子が気になって布団から身を起こす。マドカが隣で小さく寝返りを打つ音がする。
「どこ行くの……?」
「ちょっとユミさんの様子を見てくる」
 私が立ち上がろうとした瞬間、マドカの手が私の袖を掴む。
「ねぇ、行かないで……。私、一人になりたくない……」
 いつもの明るいマドカとは正反対の、寂しさの混じった細い声。
「大丈夫。どこにも行かないよ」
 私はその手を優しく包み返し、微笑む。ひんやりと冷たいマドカの手から徐々に力が抜けていく。

 マドカが寝静まったのを見届けて、私は静かに外へ出た。
 夜気は冷たく、風に揺れる草が濃い匂いを放つ。
 ユミは広場で見かけた時と同じように月を見上げていた。
 私は静かに彼女の隣に身を寄せ、声を掛ける。
「娘さんも、きっとどこかでこの月を見てますよ」
 根拠のない希望。でもそれが今のユミを支えていることに間違いはない。ユミが目尻を少しだけ緩める。
「私だけでも信じてあげないと」
 そう言って笑える彼女がとても強く見えた。

「私、『お母さん』を知らないんです――」
 自分でも驚くほど素直な言葉が口からこぼれた。
「生まれたときには今の姿だったから……。でも、ユミさんを見ていると『母親』の強さを痛いほど感じる」
 今まで母親について考えたこともなかった。私に生みの親がいるとすれば、それは【運営】と呼ばれる存在だ。でも、彼らが私に与えたのは、決められた位置と役割だけ。自分の意志どころか、記憶すら持たず、存在すら意識してこなかった。
 世界の終わりになって、ようやく私はそれに気がついた。まるであの崩れた月の欠片が、私に意識を宿したかのように――。
 
 ふとユミの手が私の手に重なる。その温もりが私の劣等感を溶かしていく。
 ――私は生きてる。
 静寂が支配する夜の真ん中で、私の心臓は深く脈打っていた。

#静寂の中心で

10/7/2025, 3:18:37 PM