No Name

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※ちょっとだけホラー描写あります。ご注意ください。苦手な方は無理して読まなくても大丈夫です。

僕には大切な妹がいる。可愛くて優しくて。だけど、数日前から風邪をひいて寝込んでしまっている。
だから僕は、妹の風邪を治すための薬草を山で探すことにした。病に伏している妹のことを考えているうちにいつの間にか山の深くまできてしまったようだ。

この山をよく知る猟師の兄さんは、山奥は人喰い熊が出て危ないから入るなと言われていた。
兄さんの言う通りだ。奥に来た途端、鳥の声がパタリと止んだ。足場は泥でぬかるみ、周囲の匂いもどこか鼻にくる酸っぱい感じがして、目が眩む。
こんなところに薬草が生えている訳が無い。引き返そう。
そう本能が訴え、元いた道を引き返そうとした先、

「こんにちは」
目の前には黒髪でワインレッドのワンピースを着た小柄な女の子が立っていた。あまりにも唐突な登場に驚きすぎるあまり、声も出ず、足がすくんだ。

「ごめんなさい、驚かすつもりは無かったの」
彼女は慌てて、僕の元に駆け寄る。

「き、君は?」
やっと喉から絞り出した微かな声で問いかける。
「私はここの近くに住んでいる人間よ」
ふんわりと微笑みながら彼女は答えた。嘘をついているようには見えない。

「薬草が欲しいんでしょう?」
「どうして、それを?」
笑みを崩さぬまま、見透かしたように僕に言った。

「だって、ここに来る人たちみんな言っているから。高く売れるらしいのよね」
彼女は髪を弄りながら、気に食わない様子で呟く。

「僕は、売るためじゃなくて妹のために使いたいんだ」
「妹?」
「うん、大事な大事な妹なんだ。風邪を治したくて」
初対面の人ではあるが、本心をありのままに告げてみる。

「そう......じゃあ」
彼女はワンピースのポケットから紙包まれている何かを取り出した。
それは、僕が探していた薬草だった。

「あげるわ。さっきお庭で拾ったの」
「いいの?」
「大事な人に使って」
彼女は薬草が包まれた紙を僕に手渡した。彼女の手は異様に氷のように冷たく、僕と同じ人間か疑ってしまう。
お礼を述べようとした次の瞬間、

「おい、そこにいるのは誰だ」

僕たち以外の声が聞こえ、思わず振り返る。
「兄さん!」
僕の兄さんだった。
「兄さん、どうしてここに」
「それはこっちの台詞だ。探したんだぞ」
兄さんは僕腕を引っ張った。
「兄さん、待ってさっき、薬草をもらって......」

そう言って彼女を指したつもりが、消えていた。
「あれ?さっき、女の子が」
「女の子?」
そして、先程の経緯を話した途端、兄さんは顔を真っ青にして貰った薬草を取り上げた。
「いいから、帰るぞ」
「でも、お礼言わなきゃ」
「お礼よりも、今はお前の身を大事にしなきゃいけないんだ」
兄さんは猟銃を取り出し、体を震わせながら僕を家まで連れ帰った。
帰る途中、森のざわめきと共に小声で誰かが囁くような言葉が聞こえた。

『もう少しだったのに』

退屈そうな悔しそうな声が耳へと届き、

『 だけど、私もまだ君を大事にしたいな』

素敵なおもちゃを見つけた子供のような 愉快な笑い声を残していた。



(tips:登場人物紹介)
・女の子
屋敷の中は退屈でお腹が空くので、山奥の森で散歩している。欲にまみれた人間が大嫌い。よく白いワンピースを着ている。

・兄さん
山の里にいる猟師。最近、山に入った商人が行方不明になる事件を聞いており、警戒している。
弟には「人喰い熊が出るから」と注意していたが、実際は「熊」ではなく「人」である噂がある。

テーマ「大事にしたい」

9/20/2023, 11:01:10 AM