初音くろ

Open App

今日のテーマ
《繊細な花》





月下美人という花がある。
1年に一晩だけ咲くという話で有名な花だ。
白く繊細なその花は見た目の優美さもさることながら香りも芳しいのだという。
以前何かの雑談の折りに、名前だけは見聞きしたことがあるけど実際には見たことがないのだと話したことがあったのだが、どうやら友人はそのことを覚えていてくれたらしい。
家で育てているのが今夜あたり咲きそうだから来ないかと誘われて、わたしはこの日、彼女の家を訪れた。


「へえ、月下美人ってサボテンだったんだ」
「うん、元は中南米原産なんだって」
「今夜咲くって本当?」
「たぶんね。夕方から甘い香りがし始めてるから」

去年もそうだったのだと微笑みながら教えてくれる。
幸い明日は休みだし「遅くなるかもしれないから今日は泊まっていきなさい」と彼女の家族からも言ってもらえてる。
うちの親にも「あちらのご迷惑にならないのなら」と許可をもらったので、今日はお泊まりセット持参でお邪魔している。
開花は暗くなってから深夜にかけてになるだろうということで、先に夕飯をご馳走になり、それから彼女と庭先に下りた。
彼女の家族は後から来るらしい。

鉢に近づくにつれ、なるほど、彼女の言う『甘い香り』が漂ってくる。
夕飯をご馳走になっている内に咲き始めていたらどうしようかとそわそわしていたが、幸いまだ蕾のままだ。
そしてその蕾はわたしが思っていたよりも大きなものだった。

「こんなに大きいんだ」
「うん、花は大体20cmくらいかな? もうちょっと大きいかも」
「そうなんだ。甘くていい匂いがするね」
「でしょ。私もこの香り大好きなんだ」

鉢の前にはキャンプ用の椅子とテーブルが用意されていて準備万端だ。
虫除けスプレーもかけてあるし、このままここで開花を待たせてもらうことにする。
テーブルの上にはランタンと保温ポット。
インスタントコーヒーをお供に他愛ない話をしながら、目だけはしっかり鉢に釘付けだ。

程なく、ピンク色のがく弁に包まれた白い蕾が綻び、ふんわりと花弁が開き始める。
香りは一層強くなり、わたし達はその幻想的な光景を目の当たりにして声もなくただただじっと見入った。
月下美人に限らず、花が咲く瞬間を見るのは初めてだ。
わたし達はどちらからともなく手を握り合っていた。
そこから伝わる熱が、この瞬間が夢ではなく現実のものだと教えてくれる。

「綺麗だね」
「うん」

大きな声を出したらいけないような気がして、潜めた声で言うと、彼女もまた同じように囁きに近い声で同意する。
この感動をどう言い表せばいいのか。
思わず握る手に力を込めると、彼女もそれに応えるように手を握り返してくれた。

「月下美人の花言葉って知ってる?」
「えーと……」

声を潜めたまま問われ、わたしはさっきスマホで調べたばかりのそれを思い出そうと記憶を漁る。
たしか『儚い美』とか『儚い恋』とかそういうのだった気がする。
わたしがそれを口にすると、彼女はくすりと笑って頷いた。

「うん、有名なのはその辺りだね。でも私が好きな花言葉はね」

内緒話を打ち明けるように囁かれた花言葉は『秘めた情熱』。
ちらりと盗み見るように彼女の顔を窺えば、そこにはその花言葉にぴったりの眼差し。
夜の風は涼しいくらいなのに、なぜだか頬が火照ってくる。
まるで彼女の眼差しに炙られたみたいに。

優美で繊細な白い花の美しさと、甘く芳しい香りに酔ってしまいそうになりながら、わたしは彼女の手をぎゅっと握りしめた。





6/26/2023, 9:29:16 AM