「まるで楽園だなあ」
男は恍惚とした声音で言った。
奥まった路地裏は薄暗いうえに狭苦しい。ペトリコールに交じった血の臭いが鼻をつく。視線を落とせば、足元のアスファルトには赤黒い水たまりが広がっていた。その源流は、さっきから白目を剥いて地面に転がっている。しゃがみこんだ男は、もう動かないソレを見下ろして楽しそうに笑った。
「いい顔してるね、このひと」
どこがだよ、と思ったが、ツッコむ気力も起きない。こんな仕事さっさと終わらせて、家帰って風呂入って寝たい。
「おい、どーでもいいから帰んぞ」
そう声をかけると、男は顔を上げた。頼りなく明滅を繰り返す街灯の下、いつもの薄ら笑いを浮かべて俺を見る。頬に軽くはねた返り血も相まって気味が悪い。はーい、と返事をして、男は立ち上がった。
「僕も帰〜ろおうちに帰ろ〜……の続きってなんだっけ、歌詞思い出せねえ」
「…………」
「いやあ、今日も楽しい1日だった。な、今日こそ打ち上げ行くだろ?」
「行かない。帰って寝る」
「はあ、相変わらずノリ悪いなあ。そんなんじゃモテないぞ〜、わははは」
笑いながら、ばしばしと背中を叩いてくる。久々の仕事でだいぶキマっているようだ。こいつが変なのはいつものことだが、今日はいつにも増してテンションがおかしい。
俺にとっちゃ、この世は楽園どころか地獄そのものだ。こんな腐った世界に生まれ落ちたことは、呪い以外の何でもない。けれどもこいつはきっと、それを祝福と呼んで笑うのだろう。どうかしている。
はたまた、狂わなければ生きていられないのだろうか、この男も──ふとそんなことを思い、上機嫌に鼻歌を歌う男を、俺は横目でちらりと盗み見た。
【テーマ:楽園】
5/1/2026, 4:47:36 AM