『名前には特別な魔力があるらしい』
いつの日か、ふと手に取った本に、書いてあった言葉。
名も知らぬ著者の名も知れぬ本だが、その本はスカスカな私の本棚に収まっている。
「君が名前を呼ぶ人は、全員不幸になるね」
とある企画で一緒に活動していた先輩。
彼女はギプスを巻いた腕を見ながら、乾いた声で笑っていた。
どうしようもないだろう、と思った。
しかしその場では「そうですかね」と困った顔を貼り付けるのが精一杯で、
家に帰った瞬間に、ようやく涙が溢れ出た。
新しく隣の席に座った同僚は、底抜けに明るかった。
会社内で腫れ物のように扱われている私に毎日声を掛け、企画の際にも同じチームになりたがった。
私にとって彼女の優しさは眩しく、
そして辛いものだった。
「なんで私の名前、呼んでくれないの?」
屋上で過ごすお昼休み、唐突に彼女が尋ねた。
私は口に含んでいた牛乳を吐きそうになる。
「……なんで?」
「だって、『君』とか『あなた』とか…なんか、つまんない」
そう言って彼女はぷぅと口を膨らませた。
私はしばらく青空に流れる雲を眺めて、牛乳を一口飲んで、一息吐いてから、彼女に話す決意をした。
話さなければ、ここまで私に良くしてくれる彼女に失礼になるだろうから。
彼女はじっと私の話を聞いて、終わったら「なんだー」と言って笑った。
「大丈夫だよ!私幸運だもん!」
「……幸運って……そういう問題じゃ…」
「迷信だよそんなの!」
私が保証する!
彼女はそう言ってにっこり笑った。
とある秋の朝、
私は廊下を歩く彼女に声を掛ける。
「おはよう、美波」
「おはよう!梓!」
私がはじめて彼女の名前を呼んだ日以来、
私は彼女…田邊美波と、ずっとこうして、元気に挨拶を交わしている。
5/26/2025, 11:17:22 AM