汀月透子

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〈逆光〉

 私が初めてあの人に会ったのは、小学校に上がる前のことだった。

 公園で迷子になって泣いていたとき、優しい声が「大丈夫よ」と語りかけてくれた。顔を上げると、そこには母くらいの年齢の女性が立っていた。
 けれど不思議なことに、その人の顔がよく見えない。まるで後ろから強い光が差し込んでいるように、表情は逆光に溶けてしまっていた。
 彼女は私の手を取って、母のところまで連れて行ってくれた。手のひらは温かく、どこか懐かしかった。

 中学生の部活動の帰り道、自転車で転んで膝を擦りむいた。立ち上がれずにいると、またあの人が現れた。
 やはり母と同じくらいの年齢で、逆光で顔は見えない。ハンカチで血を拭ってくれる手の動きに、既視感があった。

 二十代で失恋に打ちひしがれていたとき、深夜のコンビニで泣いていた私に、あの人が温かいコーヒーを差し出してくれた。「きっと大丈夫」という言葉と共に。
 相変わらず四十代くらいに見える女性で、顔は逆光の中だった。声の調子が妙に聞き覚えがあった。

 その人と別れてから気づいた。いつも同じ年頃なのだと。私が年を重ねても、あの人は変わらず四十代くらいの女性なのだ。

 不思議だった。同じ人なのだろうか。それとも似た誰かなのだろうか。分からないまま、私は四十三歳になった。

 そして今日、いつものスーパーからの帰り道を歩いていたとき。

 前を歩く老女が、買い物袋から何かを落とした。リンゴが二つ、三つと転がっていく。老女は腰が痛いのか、拾おうとしてもうまく拾えない。

 私は迷わず駆け寄って、リンゴを拾い集めた。泥を軽く払って、袋に戻す。

「ありがとうございます」

 老女がそう言って顔を上げた瞬間、心臓が高鳴った。

 彼女は目を細め、眩しそうにこちらを見ていた。夕日が私の背後から差し込み、老女の目には私の顔が、きっと逆光で見えないのだろう。
 そして、その横顔。目尻の皺。唇の形。

──ああ。

 電撃が走ったように、すべてが繋がった。
 あの人は、私だったのだ。

 未来の私が、過去の私を助けに来てくれていたのだ。
 小学生の頃の私にとっては「お母さんくらいの歳」に見えた女性。中学生、二十代、三十代の私が見た四十代の女性。それは全部、今の私と同じ年齢の、私自身だった。

 だから手のひらは懐かしかったのだ。だから声に聞き覚えがあったのだ。だからハンカチの使い方も、コーヒーの差し出し方も、どこか私自身を思わせたのだ。

「いえ、どういたしまして」

 私は微笑んだ。老女には見えないかもしれないけれど、精一杯の笑顔で。

 老女は小さく会釈をして去っていった。その後ろ姿を見送りながら、私は理解した。あれは未来の私なのだと。七十代か、八十代か。
 いつか私もあの年齢になって、今日の出来事を思い出すのだろう。そして、四十三歳の自分と再会するのだ。

 不思議な巡りだ。私は未来の自分に助けられ、過去の自分を助ける。時間の輪の中で、私たちはずっと繋がっている。

 これから私は、困っている過去の自分のところへ向かうのか。そしていつか、過去の自分がまた助けに来てくれるのを待つのか。

──待って。

 もし未来の私が、若い頃に同じように「気づいて」いたのだとしたら?
 もし老女も四十三歳のときに真実を知って、「意識的に」過去へ行く決意をしたのだとしたら?

 それは本当に自発的な優しさだったのだろうか。

 私は今、「行かなければならない」と思っている。でも、そこで困っている自分を助けなければ?

──いや、違う。逆だ。

 もし私が気づかなければ、ループは成立しない。気づいたからこそ、私は過去へ行ける。気づいたからこそ、あの出来事が起きる。因果は逆転している。未来が過去を作っているのだ。

 けれど、私に選択の自由はあるのだろうか。

 気づいてしまった以上、私は「行かなければならない」。行かなければ、幼い私は迷子のまま泣き続ける。中学生の私は膝から血を流したまま座り込んでいる。二十代の私は、コンビニで一人きりだ。

 私は行くだろう。いや、もう行ったのだ。時制が混乱する。過去と未来が、今この瞬間に重なっている。

 玄関を開けて中に入った。部屋の明かりをつける。いつもの部屋。いつもの夕暮れ。
 でも、何かが変わった。

 気づいたことで、世界の見え方が変わってしまった。
 私は本当に自由なのだろうか。それとも、永遠にこの輪の中を巡り続けるのだろうか。

 ふと、窓ガラスに映った自分の顔を見た。夕日を背にして、逆光の中に立つ私。表情は影に沈んで、よく見えない。

──そうか。
 逆光は、顔を隠すためだけにあるのではない。

 それは問いかけなのだ。「あなたは誰ですか」と。
 「あなたは本当に、自分の意志で動いていますか」と。

 私は笑った。答えは出ない。でも、いいのだ。

 明日も、困っている人がいたら手を差し伸べよう。それが運命だとしても、選択だとしても、もうどちらでもいい。

 時間の輪の中で、私は巡り続ける。
 それが呪いなのか、祝福なのか。逆光の中では、どちらも同じ光に見えるのだから。

──────

パラドックス考え始めたら訳わからん話になりもうした(´・ω・`)
過去の自分未来の自分あたりでとどめておいた方がすっきりするのかしらでもパラドックスどうしましょう、ってとこです(´・ω・`)

1/25/2026, 8:56:23 AM