のねむ

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暑い夏の中。セミの大合唱を聞きながら、緑を灯した木々の間を踊るように歩いた。歌でも口遊たい気分だ。
きっと今ここで歌を口遊み踊ってみたら、とても気分がいい事だろう。だけども、私は少し考えて止めておいた。歌ったってきっとセミの大合唱には勝てっこないから。

群青色の空に、ふわふわもこもことした白い雲。夏だって一目見てわかるこの夏の空。私は少し苦手だったりする。暑さやられている頭では、この空は眩しすぎてくらくらしてしまうから。でも、涼しい部屋の中で見るこの空は、美術館で見る美しい絵画のように見えてとても好きだったりする。つまりは、環境によって見え方、好き嫌いが変わったりするのだ。全く我ながら都合のいい人間である。
でもきっと、この世は人の都合の良さで成り立っている。
そうした、ちょっとした都合の良さでズレている部分を治す。欠けたパズルのピースを同じ形のピースで代用するかのような、そんなちょっとした狡い都合。

私は今日もそんな狡い都合を愛して、生きている。なんて言うと少し恥ずかしいような気持ちになってしまうけれど、これも夏の暑さのせいなのだ。
セミの大合唱に合わせて少し体が揺れる。やっぱり少し踊ってみたくなった。本当に都合がいい人間だと思うけれど、そういう所も愛くるしい。
たらったたった、なんて少し口遊ながら少し足だけで踊ってみる。
そうしたら、緑を灯した木々たちがまるでペンライトを降るようにさわさわと揺れるから、なんだか気分が良くなって、手で足で服でさえも踊り出してしまった。
嗚呼、とても心地がいい。
都合の良さもきっと愛すべき部分。そんな事を気付けた私は多分1番都合のいい人間。


だけども、それも何故か心地いいから、大合唱にそれから、さわさわと揺れるペンライトと共にずっと踊るように、いいや。踊って並木道の下を歩いた。








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熱が下がらないです。

自分がよく書く、桜、海、夜、星、薄暗さを全て封印して書いてみました。やはり、実話と関連するように書かなければ上手く行きませんね。でも個人的には、好きです。太陽のような力強い暖かさでなくとも、木漏れ日のような温かさはある…ような気がするので。

そういえば、太宰治の女生徒を読んでみました。私はこの人の作品に好意と同情と共感を少しばかり。
私に考えがよく似ている、と言えば自分を買い被りすぎるけど、既視感とかそんな感じですね、多分。
作品に共感すると、その作品と自分を同一化してしまう癖がよくあるので、話し方とか書き方とか、なんだか少し似たような気がして恥ずかしいですね。いや、それこそ自分を買い被りすぎか。
まあでも、そういう自分を買い被ったり自分に都合のいいように辻褄を合わせたりするのは、楽に生きる中でも結構大切だったりします。人を傷付けない自分の中の都合の良さで、沢山何かを愛してみたいですね。


9/7/2023, 12:17:09 PM