ㅤドアの前で一旦立ち止まり、僕は息を整えた。昨日からの陽気で一気に満開になった花びらがはらはらと舞うのを数秒眺め、ゆっくりと扉を引く。待ち合わせの相手は窓際の席に座り、文庫本を読んでいた。
「ごめん、お待たせ」
ㅤ法子が顔を上げる。読書を邪魔されて迷惑だとでも言いたげに。
「思ったより早かったね」
「いや、遅いよ。きみより二十三分遅刻だ」
ㅤスマホの待受を確認し、僕は向かいの椅子に座る。腕時計の針は適当に五分ほど進めているので、正確な時刻を知りたい時はスマホを見るようにしていた。
「おー、また記録更新したね。いま読んでる章が終わるまではかかると思ったのになあ」
「進歩してんだよ、僕なりに」
ㅤ法子はあははと笑って、
「行きたいカフェはまだまだあるから。この辺の新しい地図が脳内に出来上がるまで、付き合ってあげるよ」
ㅤと言いながら辺りを見回し「すみません」と店員を呼んだ。
「ブレンドひとつと、追加でチーズケーキください!」
ㅤ店員が去ると、
「美味しいんだって、ここのチーズケーキ。チーズ二種類使ってるらしいよ」
ㅤと法子は目を細めた。
ㅤ方向音痴を直したいなら目印を覚える訓練を繰り返すのが早道じゃない?ㅤ付き合ってあげるよ、と言ったのは法子だった。でも実際は、僕の方が彼女のカフェ巡りに付き合わされている。
ㅤ水のグラスを手にひと口飲むと、「すみません、チーズケーキもうひとつ追加で」と僕は声を張る。
「飲み屋じゃないんだから」
ㅤ口許に手を添えた法子が、文庫本をバッグにしまった。
『新しい地図』
4/6/2025, 10:39:45 AM