テツオ

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わたしは静かに彼の頭を撫でていて、
彼も静かに、わたしの膝上におさまっている。
ふたりで夢でも見てるみたいな、静かすぎる時間がつづくとき、
わたしは彼を、人形みたい、だなんて思う。

「……ねぇえ?」

彼は動かないんだもの。
いまのように話しかけたって、さっきも言ったけど、彼にはときどき、こういう日が訪れる。

動かなくて、話さなくて、ほんとのお人形みたいになる日。

「どうしてなのかしら……
気絶してるのとおんなじよ、これじゃ」

彼を膝から下ろした。
彼は相変わらず動かなくて、床にひっそり座っている。
いいわ、試してみましょう。
彼をくすぐって、反応がなかったら完全な、なにかの病気。
反応があったら、度の越えた呆けさん、か、あるいは、彼本人に聞けばいい。

彼の洋服の、青いパーカーを肩からずり落とし、
その中のシャツ一枚にする。

シャツ一枚にすると、脇がよく見えて、
わたしはそっとそこへ手を寄せ……

「えいっ」

くすぐった。
だれかをくすぐるのは久しぶり。
久しぶりなんてどころじゃない、ほとんどはじめて、やり方忘れちゃった。
うまくできてるかしら……

「……はあ」

こうして、わたしはわたしのくすぐり方を下手に思ってしまうくらい、彼は反応を示さない。
もしかして、くすぐりが効かないのかしら。
ああ、知っておけばよかった。
知ってたら、こんな恥ずかしくて薄気味悪い思いをしなくてよかったじゃない。

……試しに、だけど試しに。
わたしは彼のピンクのスリッパと、くたびれた靴下を視界にいれる。

つぎの瞬間には、もうわたし、
ピンクを、彼の飴細工みたいな足から脱がしてて、つぎには、靴下から、スルースルなんて、彼のこまかな足首を覗かせた。

「かわいいあしね」

わたしのあしはおおきすぎるから、ちょっとうらやましいな。

……いいえいいえ、そんなことより、わたしは彼の、あしへ、自分の指先を近づけ、ぴとっとくっつけた。

すごく、つめたい。驚いた。だって彼、暖炉のすぐ側で座ってるのに。それに、靴下はなんの意味があったのよ。ただ、ひっかかっていただけですか?

……外の冷気よりずっと、ヒヤッとしている。
あたためてやるみたいに、上下へ足をくすぐった。

「……ねえ?やっぱり、ダメ?」

彼のまぶたはたしかに上がっているのだけど、
めはどこも見ていなくて、文字通りがらんどう。
わたしが、あしへスリスリ擦り付けるので、彼は静かに、バランスをゆっくり崩していって、……
やがて倒れた。

プラスチックの水槽を、シンクへ落としたみたいな音。
だけどやっぱり、彼は痛がるどころか起き上がろうともせずに、投げ出されたてはそのまんま。

「あなた、いったいなんで、こうなっちゃったの?」

彼は、ふだんとても饒舌で、だまってるときが珍しいくらいなのよ。
いまの彼を見せながらこう言ったって、いまの彼しか知らないひとは、信じられないでしょね、と思う。

彼の舌根は乾きをしらなくて、その撫で心地がいい頭では、ずっとギャグとか、くだらないイタズラのことばかりを考えて、……そればかりだと思っていたのに。
やっぱりそれだけじゃ、余地があるわよね。

ギャグやイタズラ、エンターテイメントだけじゃ、ごまかしきれない、彼の辛いなにか、
わたし知らない。

おもえば、わたし、彼の何をしってるだろう。
好物は?ハッキリわからない。
すきなことは?これも、ハッキリとは。
家族は?……居たってしってる。
彼自慢の弟。ゆめを追いかけてるんだ、とか、まっすぐでかわいいやつだとか、絵本をよんでやらなきゃ寝れないんだ、とか。
よく話してたのに、なんだか最近は、あまり話題にしないわね、それと、彼の辛さ、もしかすると、
関係あるかしら。

「ねえ、なにがすきで、なにがきらい?
わたし、あなたになんでも作るわ、
お料理、得意だから………」

あ、わたし、彼について、ひとつだけしってる。


「ね、あなたって、青色がすきよね?」

そう、そう。
彼に、いつも青いパーカーばっかり着てる彼に、なにか、どうしようもないくらいダサいセーターをあんで、困らせてやろうと企んでたとき。

彼に、そう聞いて、そしたら彼は、
え、と、なぜか心外だ、なんて言うふうに、顔を驚かせて。

「いや、赤だけど」

らしくなく、ずいぶんつっけんどんに言って、
たぶん、赤だなんて打ち明けるつもりがなかったんだと思う。今思えばわかるけど、当時のわたしは、なんでかず〜っとパレードの先頭にたってるみたいな高揚感があって、赤だと言ってるんだから赤だ!
らしくないなんて微塵も思わず、赤い毛糸を買っちゃった。

それで、編み終わって、
彼にそれをあげたの。まるでちいさな子が着るみたいな「super Hero!」とか「cool!!」なんて、
そういう煽り文句をドーンといれた、ダサいセーター。

彼はどういうわけか、それをみるなり、まじまじこまかなところまで見はじめて、わたし、粗いとこが見つかったら恥ずかしいな、なんて思って、その、彼に掲げたまんまのセーターへ顔を隠してたら、
その、セーターの向こう側からしめっぽい空気が流れてきて、セーターのあなぼこからよく覗くと、彼はたしかに、泣いていた。


ねえ、どうしてあのとき泣いたのあなた。
わたしは、彼をフローリングから起き上がらせてやって、さっきまでわたしの座っていたチェアへ座らせてあげる。


「んで、おれの弟がさ、赤いフラッグ買ったんだ。おれは、それでなにするんだってきいたんだけど、あいつ、なにしたとおもう?」

わたしが閉じこもって、掃き掃除していたとき、名前も知らないだれかさんが扉の向こうからジョークを連発しだして、あんまりおもしろかったから、わたしも思わずツッこんじゃって、
それが彼とわたしの、声だけのコミュニケーションのはじまりだった。

電話とは違う。それよりもっとロマンチックで、
相手の存在をさらによく感じられる。

そう、彼がなにをはなしても、顔も知らないくせに、すぐ感情移入して、続きが気になる。

「あいつ、赤い旗を細長く引きちぎってさ、で、それを首に巻いたんだ。
スーパーヒーロー!だってさ。
ほんと、おれにはもったいないくらいイケてる弟だろ?」

彼は大体の話を弟で占めさせていた。
だけど、くだらなくなんかなかった。

弟が好きで、おもしろいことが好きで、きっと子どもの頃はやんちゃだったんだろうな。
ああ、ふしぎ。
彼の外面をなにもしらないのに、
わたしは、いま、
彼の内面をなにもかも、知ってるみたい

6/21/2024, 3:10:58 PM