※先月ぐらいに書いた不穏双子姉妹百合の続き。
······ずっと、暗闇の世界に閉じ込められていた気がする。
寒くて、冷たくて、凍えそうなその真っ暗闇と私は同化し、一体化していた。まるで生まれた時からそうだったかのように。前も後ろも知覚出来ない、底も見えないこの場所で、自分が今浮かんでいるのか沈んでいるのかもわからないまま、私の意識はもうずっと長いこと、形を失い輪郭を保てずにただぼんやりとそこに在り続けていた。
少しだけだけど、覚えていることがある。私は自らの意思で命を絶ったこと。それと、とても大切な人が居たということ。
二人は、ずっと一緒だった。お母さんのお腹の中にいた時からの付き合いだった。私の分身。もう一人の私。誰よりも大切な······双子の姉、柚季(ゆき)。
柚季、私ね。本当はずっと柚季が羨ましかったの。柚季は私に足りないものを全部持ってた。きっと、柚季の要らない部分だけ寄せ集めて生まれてきてしまったのが自分なんだって思ってた。眩しく輝く柚季の傍らから離れない亡霊のような柚季の陰。それが私なんだって。
柚季はいつもそんな私のことを大事にしてくれて、私もそんな柚季のことが大好きだったけど、柚季へのコンプレックスで頭と心がどうにかなってしまいそうな時期もあったし、もしかしたらほんの少しだけ、憎く思っていた時もあったのかもしれない。
結局私は人生全てに絶望して、未来にほんの一欠片の光すらも見つけられなくて、生きるということに耐えられなくなって、そうして自死を選んだ。苦しむことに疲れたから。もう、楽になりたかったから。
でも、でもさ。ちょっとだけ、考えるの。あの時の私が切り捨てた選択肢。勝手に無駄だと決めつけて、行動に移さなかった別の道。
例え柚季に意を決して相談しても、柚季には私の抱えている心労や痛みや悲しみや苦しみを理解出来ないだろうなって、私、思ってた。相談をすれば絶対に真摯に私の話を聞いてくれる。慰めてもくれる。優しく抱き締めてもくれたかもしれない。そんなことはわかってる。でもそれは、私の気持ちを理解し共感してくれたが故のものではなくて、そこにあるのは私への同情。ただそれだけ。だって柚季は、私じゃない。私が受けた痛み悲しみ苦しみを、同じようにその身で体験したわけじゃない。だから、わからなくって当たり前なんだ。自分の身で実際に体験したことしか、人間は理解出来ないものなんだって、ちゃんと私はわかってた。私が欲しいのは同情じゃなくて、共感、あるいは共有だった。それが得られないのならば、話をしたところで悪戯に柚季を不安にさせて迷惑を掛けるだけ。ずっとそう思って、柚季には何にも話せずにいたけど。
もしも私がもう少しだけでも、柚季を頼っていれば。勇気を出して、話をしていれば。未来は、変わったのかな。今でも二人、笑顔で一緒に生きることが出来ていたのかな。
手紙にも書いたけど······私、もう一度柚季にちゃんと謝りたいよ。柚季のこと信じられなくてごめんって。一人で勝手に決めちゃってごめんって。柚季を置いて先にいっちゃって······ごめんって。
もう一度だけでいいから柚季に会いたい。きっと今のこの私は昔咲李(さり)だったってだけのもので、今はもうその面影なんて何処にもなくて、姿かたちも私だってわからないようなものになっているんだろうけど、それでも······もう一度、柚季に会いたいよ。
「······り、······さりッ······咲李ぃ······!!」
ハッ、と。今まで朧気に漂っていただけの自分という存在が急激にギュッと一か所に凝縮し、何かの型に嵌め込まれたような感覚を覚え、まるで眠りから覚めるかのように私――咲李は、意識を取り戻した。今、凄く大事な人の声が聞こえた気がした。その声によって呼び覚まされた。
自分の肉体がとっくに朽ち果てていることを私は知っている。だからこれは、未練だけで形成された、人の体を模しただけのただの残留思念。きっと彼女の前に立ったとしても姿は認識されることはなく、その名を呼び掛けたとしても彼女の耳に私の声は届かないのだろう。
それでも、会いたかった。もう一度、一目だけでも、会いたかった。そして、独り善がりでいい。彼女に······柚季に、精一杯心を込めて謝りたかった。
地面に座り込んでいた私は立ち上がり、歩き出し······そして、駆け出した。柚季の声がする方を目指して。嗚咽混じりに私の名を呼び子供みたいにしゃくりあげる、愛しい半身の元へ。
「咲李ぃ······!! 咲李ぃ······!! ごめんッ······ごめんねぇ······!!」
私達が生を授かった故郷の、生家近くにある深い山の中。その中でも大分深部に近いような奥の奥の方で、漸く柚季を見つけた。フラフラと左右に傾きながら歩いていたその体は次の瞬間にはドシャリと地面に倒れ込み、そのままゴロリと仰向けになると、真っ暗な空に向かって私の名前と謝罪の言葉を泣きながら叫び続けている。その姿に、もう流れるはずもない涙が頬を伝っていくような感覚がした。
「······あーあー、こんな所まで追ってきちゃって。ここがわかったの、流石だね。覚えててくれたんだ。嬉しいな」
聞こえるはずなどないとわかっていても、柚季に話し掛けることを止められない。
「そんな、柚季が謝ることなんてさ、一個もないんだよ?」
「咲李、咲李······咲李ぃ······!!」
「謝らなきゃいけないのは、私の方」
「咲李ッ······咲李ぃ!! ああぁぁぁぁぁああぁああぁぁぁあ!!!!」
私は柚季の頭のすぐ横で歩みを止め、その場にしゃがむ。ゆっくりと、柚李の髪の毛に指を通す。実際には私の指は形を持っているわけではないので、柚季の髪の毛に触れることも髪を梳くことも出来なかったけれど、それでも私は柚李の頭へそっと手を置き、ゆっくりと撫でる仕草をする。
「本当に······本当にごめんね、柚季。大好きだよ」
今までずっと言いたかった言葉。言いたいのに言えなかった言葉。それを何年越しなのか、漸く本人を前にして伝えることが出来た私は、どこかスッキリとした気分で柚季の顔を穏やかな笑みと共に見つめた。柚季の焦点が私の方へ向く。偶然だとしても、私は嬉しかった。
「さ、り······?」
震える声で、柚季は確かめるかのように私の名を呟いた。柚季の右腕が持ち上がる。その手は、私の顔の方へと伸びてきて、頬の辺りでピタッと止まった。数瞬の後、その手をそっと離し。
「······ッ咲李······!!」
柚季は······幸せそうに破顔しながら泣いていた。
「······柚季、もしかして······」
私はもう無いはずの心臓が早鐘を打つような心地になりながら、慎重に、言葉を紡ぐ。
「私の声、聞こえる······?」
柚季は大きく一回、首を縦に振る。
「私のこと······見える?」
柚季は······もう一度大きく、同じ動作を繰り返した。
「そっか······そっ、か······ッ」
相変わらず感触などないが、それでも私は柚季の頭を撫で続けた。感極まっても涙なんて出ないので、変な顔だけ晒しているような気がして少し気恥ずかしいけど、柚季相手ならいいか、と思い直す。
「来てくれてありがとう。おかえり、柚季」
「待っててくれてありがとう。ただいま、咲李」
私達は二人で微笑み合い、ぎこちないハグを交わした。
大きな木の幹に背中を預けて眠る柚季の、地面に置かれた右手に己の左手を重ねる。
これからはまた二人、ずっと一緒だよ。
寝る前に交わした指切りげんまん。その約束を違えることなどないように、二度とこの手が解けないようにと、そんな願いを込めて。私もまた、ゆっくりと瞳を閉じた。
2/15/2025, 5:06:55 PM