『宝物』
「隼人、お前の宝物ってなんだ?」
学校帰り、同じ絵画部の島田に唐突にそう聞かれた。この男はいつも唐突だ。そう親しくもない頃に急に僕のことを隼人と下の名前で呼び始めたのも唐突だったし、この前なんてそんな話はしたこともなかったのに「今日泊まりに行く」なんて言った。
僕が一人暮らしならまだいいんだけど、まだ高校生の僕は実家暮らしだから家族の都合ってものもある。嫌なら断ればよかったんだけど、僕は人の考えを否定したり断ったりすることが苦手で、頼まれるとなんでも引き受けてしまう。
さすがに「殴られてくれ」なんて言われたら断ると思うけど、その場になってみないと分からない。
「なあ、聞いてる?」
僕がなかなか答えないものだから、島田は少し不機嫌な様子でそう言った。
「聞いてるけど、いきなり言われても宝物なんてすぐには思い浮かばない」
僕がそう答えると、島田は「なーんだ」と言って両手を頭の後ろで組んで、興味なさそうにその辺に落ちていた小さな石を蹴った。
島田は僕の宝物になんて、大して興味がなかった。それなのに聞いた理由はなんだろう? もしかして自分の宝物を自慢したかったんだろうか?
「島田くんの宝物は何?」
僕は島田くんの顔色を伺うようにそう問いかけた。この質問、間違っていないよね? そんなの気にすることはないのかもしれないけど、いつも僕は何かを人に問いかけるときに緊張してしまう。質問をするということは、その相手のプライバシーに踏み込むということで、その覚悟があるのかと問われればいつもないんだ。
質問の意図が上手く伝わらないこともあるし、相手にとって不愉快な質問になってしまうこともある。そして、質問をした時の相手の目が怖いんだ。
「お前は俺のプライバシーに踏み込む覚悟があるのか?」
そう毎回問われている気分になる。
「俺の宝物は隼人」
島田が言った言葉が理解できず、僕はポカンと口を開けた。聞こえてはいた。だけど、宝物は何かの回答として、僕の名前を挙げるなんて思っていなかった。誰か有名人のサインだったり、思い出の何かだったり、そんなものを挙げると思っていた。やっぱりこの男はいつも唐突だ。
「隼人は俺の宝物だよ。俺の家、あんなんだろ? 大抵の奴は俺を避ける。だけど隼人はちょっと困った顔をすることはあっても、俺のことも俺の家も否定しないし、こうして一緒に帰ってくれる。だから大切な友達。唯一の友達だから宝物だ」
島田は堂々とそう言った。島田がそんな風に思っていたなんて、僕はちっとも気付かなかった。島田はシングルマザーの家庭で、そんなの今どき珍しくもないんだけど、島田の母親はいつも男を連れている。最初に見た時はスーツを着た真面目そうな人だったけど、次に見た時は金髪を逆立てた金色の鎖のネックレスをしたヤンキーみたいな人だった。その次は太った眼鏡のおじさんだったし、もう色んな相手を見てどれが彼氏なのか分からない。それを快く思わない人は多くて、島田は孤立していた。
島田は僕のことを一緒に帰ってくれるとか、否定しないと言ったけど、僕は断るのが苦手なだけだ。本当はそんなに優しい人間ではない。間違いは正さなければいけないと思ったのに、僕はそれは間違いだと言えなかった。いや、あえて言わなかったのかもしれない。
僕は嬉しかったんだ。
ーー誰かの宝物になれたことが。
だったら、間違いだと思ったことを間違いではなくすればいい。そんな優しい人間になればいい。世の中全員に優しくしなければならないわけじゃない。僕のことを『宝物』だと言ってくれる島田には、そういうことが苦手だから否定したり断ったりしないんじゃない。大切な友達だからしないんだ。
僕は自分が弱い人間だと決めつけていた。でも、島田の言葉で救われた。「断れない人間」から「断らない人間」になった。どうせなら島田にはもう一歩だけ近づいてみようと思った。
「島田、名前で呼んでいい?」
僕は一気に島田のプライバシーに踏み込んだ。
「今更かよ」
「うん、今更だけど、純也って呼びたい」
「いいよ」
友達だと言ってくれたから、勇気が出た。彼のプライバシーに踏み込む勇気。
それは彼の『宝物』という言葉がきっかけで、そして彼は僕の宝物になった。
(完)
11/20/2024, 2:49:36 PM