Frieden

Open App

「忘れられない、いつまでも。」

今日は自分にしては珍しく遠出をする。時々聴いているドビュッシーのピアノ曲を集めたコンサートが開催されると聞いて興味を持ったんだ。

「あ!!!今日はちょっと早起きだね!!!お出かけかい?!!」
おはよう。今日は少し出かけるから留守番を頼む。

「留守番って!!!ボクはキミにしか見えないんだから呼び鈴を押されても何にも出来ないよ?!!だから!!!ボクもキミについて行くことにするよ!!!いいでしょ?!!」

……構わないが、コンサートだから静かにするんだぞ?
「やったー!!!」

こうして、自称マッドサイエンティストとともにピアノコンサートに行くことになった。

コンサートホールまで電車に乗って向かう。
休日だからだろうか、この時間でも珍しく空いている。

「前に乗った時も思ったんだけど、電車の中って意外と広告がいっぱいだよねー!!!へー!!!あれ見てよ!!!さくらんぼフェスタだって!!!気になる!!!」

広告を見てあいつははしゃいでいる。
そんなに面白いものなのだろうか?
自分も釣られて広告を見る。雑誌、イベント、旅行。色々ある。

「ねー!!!あとでさ、日帰りでいいから旅行に行こうよ!!!」
急に何を言い出すかと思えば……。

「ほら!!!これこれ!!!このチケットを買えば海の見える綺麗な町や古い城下町、秘境にある神社まで行けるんだって!!!すごいじゃないか!!!」

広告を指差しながら言う。
「交通費もお土産代もボクが出すからさ!!!」
……わかったよ。「やったー!!!」

話しているうちにコンサートホールの最寄駅に着いた。
コンサートのはじまりを沈黙とともに待つ。
幕が開く。静かな旋律に、音の光に耳を傾ける。

月の光、アラベスク第一番、夢想。
それから、亜麻色の髪の乙女、水の反映、沈める寺。

かつて孤独と不安を埋めてくれた曲たちが演奏された。
透明で深い青色の、淡い光に包まれるような、そんな不思議な心地だ。自称マッドサイエンティストも静かに曲を聴いている。

全ての曲が演奏されて、コンサートは幕を閉じた。

もっとこの時間が続けばいいのに、そう思いながら席を立った。

「いやぁ、素晴らしい演奏だったね!」
「ニンゲンは絵や彫刻だけではなく音楽を使って何かを表現することもあるのか!!!俄然興味がわいてきたぞ!!!」

「よし!!!このままの勢いで日帰り旅行に行くよ!!!」
そういって元気そうに走り出す。自分としてはもう少し余韻に浸りたいのだが......。
まあいいか。とにかくおいて行かれないように速足で駅まで向かった。

「あ、そういえばどこに行こうか?!!何も決めていなかっただろう?!!ボクはおいしいものがたくさん食べられる綺麗な町に行きたい!!!」
……そうだな、その町に行こうか。

しばらく電車に揺られながら、窓から見える風景を見つめる。
知らない街並み、たくさんの花、広大な海。
まだ何も決めていないのに、なんだかワクワクする。

あいつは相変わらず車内広告に興味津々で、随分とはしゃいでいる。
「百貨店でいろんな文房具が買えるみたいだよ!!!」
「来月にお祭りがあるんだって!!!ボクも行きたい!!!」

少しは静かにしたほうがいいんじゃないか?
「どうせキミ以外にボクを認知するニンゲンはいないんだからいいだろう?!!」

「それよりも、この広告のキャッチコピー、なかなかいいと思うんだが!!!見たかい?!!」

そういって近くにあった広告を指さす。
「忘れられない、いつまでも。」手書き風の字体で書かれたシンプルなメッセージだ。

何の変哲もない、よくあるキャッチコピーだと思ったが、どこに惹かれたんだろうか。

「ご存じの通り!!!ボクは途方もない時間を公認宇宙管理士として過ごしているのさ!!!確かにデータとして今までの記録は残っているが、おそらくいつまでも忘れられないなんてことはそうそうない!!!」

「だからこそ、いつまでも忘れられないような思い出を作りたいのだよ!!!キミと一緒にね!!!」

……そうだった。あんたは自分よりもずっと長い時間、ほとんど一人で宇宙を管理しているんだったよな。

いくら宇宙が好きだからと言っても、楽しいことばかりをしているわけじゃないだろう。

……少しでも楽しい時間が過ごせたら、きっと苦労も報われる。そう信じたい。

「あ!!!そろそろ着くよ!!!」
嬉しそうに電車を降りて、海のよく見える町へと向かう。
天気がいい。海も町もとても美しかった。

「ここ、すごくいい匂いがする!!!海の幸をたっぷり使ったスパゲッティだって!!!さあ!!!ここでランチでもいかがかな?!!いいでしょ?!!」

言われるがままにレストランに入り、お目当てのスパゲッティを注文する。十分に食べられるように大盛りにした。

「海辺の町だから新鮮な魚介類が食べられるんだろうね!!!楽しみだよ!!!」

程なくしてスパゲッティが出された。たしかに美味そうだ。
「いっただっきまーす!!!おいしい!!!」

……美味い。旨みという旨みが凝縮している。こんなに美味いスパゲッティを食べたのはいつ振りだろうか。

「ごちそうさまでした!!!」
あっという間に食べ終わってしまった。

「次はガラス細工のお店に行こうか!!!この町はガラス細工で有名らしいね!!!せっかくだから思い出を形に残しておこうよ!!!」

……休む間もない。まあいいか。

レストランを出てすぐのところにガラス細工を扱う雑貨屋があった。動物や花、食べ物を模ったものから精巧に作られた食器、サンキャッチャーなど多種多様なガラス製品が並んでいる。

「好きなものを一個ずつ選ぼう!!!」
おい、あんまりはしゃぐなよ?割れたら洒落にならないから。
「わかってるよー!!!」

自分はこの町のシンボルである白い灯台のガラス細工を、自称マッドサイエンティストは桜餅を選んだ。……桜餅のガラス細工なんてあるのか……。

「それじゃあ、最後にあの灯台に登ってみようよ!!!」
気づけば夕方が近づいていた。もうそんな時間か。
そう思いながら灯台へと向かう。

「灯台って思ったより背が高いんだねぇ!!!これ、展望台に上るの大変なんじゃないかな?!!」
……そうだな、と思いながら灯台へと入る。

中にはエレベーターが付いていた。これで展望台まで行けるらしい。
「なーんだ!!!エレベーターがあるのか!!!」

夕焼け色に染まりつつある海と街並みを見下ろす。
静かな海とうっすら赤い太陽に照らされる町が見えた。
ここに来たのは初めてなのに、なぜかとても懐かしい気持ちだ。

海風に吹かれて揺れる柔らかいミントグリーンの髪の毛を見て思った。
またいつか、あんたとここに来たいな。

「じゃあ、明日もここに来ようよ!!!」
もう少し間を空けないか……?

とにかく、今日は忘れられない日になりそうだ。

5/11/2024, 9:59:19 AM