『史上最悪のヒール!! 最恐の闘いぶりを見逃すな!!』
ポスターの煽り文句が風に靡いている。
俺は体を引き摺って歩く。
いつもの、と思えるほどによく見たキャッチコピーだ。
“史上最悪のヒール”
だが、出てくるレスラーと試合は、いつもとは変わったものになるだろう。
最近はすっかり、暑くなってきた。
空を仰ぐと、カラッと晴れた青空が目に入る。
そろそろ熱中症も警戒しないとな。眩しい日差しを見てそう思う。
ユニフォームを入れたカバンがずっしりと重い。
汗を吸ったのだろう。
道の向こうから、仲が良さそうに歩く母娘がすれ違う。
のどかな昼下がりだ。どの人々も平和に過ごしているように見える。
穏やかに、のんびりゆっくりと時間が過ぎてゆく。
俺は公園のベンチに腰を下ろす。
幼い子どもたちが、楽しそうに笑いながら、遊具に取り付いて遊んでいる。
ヒールターンを命じられたのは、一昨日のことだ。
俺のヒーローは人気がなかった。
自分でも分かっている。俺にベビーフェイスは向いていない。
昔から、長いものには巻かれる人間だった。
面倒事が嫌いで、自分が大好きで、気が短いわりには小賢しく、好戦的で喧嘩っ早い。
俺の性格に、ヒーローっぽさのカケラもない。
それでも、俺はヒーローには憧れていた。
ヒーローは強かったし、人気者で、輝いて見えた。
自分でも分かっている。
ヒーローの内面や性格ではなく、強さと人気を理由にめざすなんて、我ながら最悪な動機だ。
俺にベビーフェイスは向いてない。
だから、俺はヒールに向いているだろう。
史上最悪のヒールに。
「お前は良いヒールになるよ。ヒール向きな性格だし、強くなることに関しては積極的で、吸収が早い。最恐最悪のヒールとして、歴史に残れるよ、お前は」
ヒールレスラーの大先輩は、俺にマスクを渡した。
「今日から、お前が史上最悪のヒールだ。胸を張れ」
明日だ。
明日、俺は正式に、観客の前でその名を受け継ぐ。
ヒールターンに納得がいかないまま。
…なれるだろうか?
俺はやっぱり最悪にやな奴だ。
最悪にもなりきれない、ヒールとしてもなり損ないで。
こんなので先輩に顔向けできるのだろうか。
子どもが目の前を駆けていく。
楽しそうに。笑いながら。
…そうだ、俺はいつもこんな最悪な気分の時は、体を動かしていた。そうすればいつか気も晴れて、自分のすべきことが、いつの間にか、腑に落ちる。
ヒールターンの話があってからというもの、そうやって生きてきたことをすっかり忘れていた。
俺はカバンを置いて、伸びをする。
体をゆっくり伸ばして、カバンを背負う。
汗を吸ったユニフォームを詰めたカバンは、良いウエイトになるだろう。
アキレス腱を伸ばして、足を踏み出す。
耳が風を切って、爽やかな空気を運んできた。
6/6/2024, 2:08:59 PM