猫背の犬

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「きっと忘れないって言ってくせに“誰、でしたっけ…?”だってさ。ホント笑っちゃうよな。あーあ…こんなことならあのとき殺しておけばよかった」



打ち上がる花火の音に混じった哀愁と不穏を忘れることができないまま、十年の月日が流れた。

むわっとした蒸し暑さと、鬱屈とした感情とは裏腹に煌びやかな花びらが舞う夜空と、隣に居たあいつの頬を照らしていた赤とか黄色。ぬるい夜風に靡く細い黒髪。
忘れていたわけじゃないけど、この季節になるとよりいっそう前のめりになる。思い出とかじゃなくて、僕の中にあるあいつへの感情みたいなやつ。
すべて夢だったんじゃないかと思う。けど、鈴虫の声を聴けば、あのときのビールの味が舌に蘇る。それから溶けそうなほど熱かった粘膜の感触も。だからたぶん夢とか思い込みじゃない。僕はそのせいでお酒が飲めなくなった。全く酔えないのに、頭がおかしくなりそうになるんだ。
過ぎた時間を、たどるように脳裏に映し出すと、後頭部が痛む。無意識に飼い慣らしていた本能が本領発揮をして、警鐘をしているのだろう。

過去として遠ざかるたび誰かを憎むあいつの顔は、ぼやけていくのに、あのとき六感が得た感覚だけが生々しい。生きているみたいに、意思や感情を持って息をしているみたいに、僕を掻き乱す。目の前にあるかのような。今まさに体現しているかのような。——けど、やっぱそれは、それだけは、あり得ない。冬が来る前にあいつは死んだから。把握できる視界のすべてから物理的に消えた。実態がない。もう会えない。どうにもならない。どうにも、どうすることも、できない。

「思い出せないほど俺のこと考えるようになったら……んー? えーと……だからその、思い出にできないほど常に頭の中に俺が居る状態になったら、一生解けない俺からの呪いだから受け取って」

寒気がするほど重たいことをへらへらと告げたあいつのあの感じ、あいつが漂わせていた独特な特有の哀愁と不穏さが、やっぱり忘れない。ずっとある。頭の中だけじゃない。僕のすべてにあいつが漂っている。この夏が過ぎても、次の夏が来ても、僕が相変わらず悶々としているであろうことは想像に容易い。

8/20/2025, 11:34:20 AM