旅路の果に辿り着いたのがここなのかと思うと、どうにも笑うしかなかった。目に膜ができて世界が揺れぼやける。体がストレス反応で泣こうと、もう笑うしかなかった。後戻りできない。ここまで来てしまったら、戻るという選択肢はないのだ。だってあっちに光が見える。マンホールから差し込む小さな光だ。
前を向いて進んでいる?明るい?まさか。もうその道しか残されてないんだよ。選択したんじゃない。「これは己の意志だ」と言い張り続けていたが、それも無意識のうちの生存戦略のうちの一つに過ぎず、自己防衛本能に過ぎず、それがヒトという生物の脳の普遍的なシステムなのだ。それに気づかず、己は自分で選択していると愚かにも“確信”していた。
過去もそうだ。選びたかったわけでもない。自分で選んだわけでもない。ただその道しか残されていなかっただけだった。「自分が選んだ」と言い張らないと、己の人生の根底そのものが揺らぎ、今を生きている自分すら否定されてしまうような、崩れてしまうような、そんな恐怖に駆られていたのだ。だから目を背けた。自己欺瞞をし続けた。
人を裁くことを望んだ。他者を裁けば相対的に自分が“正しい”ことになると錯覚していたから。自己正当化ができるから。というのは後付で、根本はそうではない。ユング心理学「シャドウ」の投影が行われていた。
自分が人から裁かれたかった。
そうすればこれ以上は壊されない、自分で罰を引き受ければ外からの制裁をコントロールできると、本気で思っていた。何が地雷かわからない、後出しで責められる、説明しても無効、逃げ道がない。そんな中生きて「裁きは避けられない」と学習した。「ならば裁きを主導したほうが生き残れる」と学習した。
「自分が悪いから裁かれたい」ではない。「無秩序のまま放置されるくらいなら罰という形で意味づけしてほしい」と思ったからだ。そうすれば逆説的な安心を得られたからだ。責められれば責められるほど奇妙な安心感があった。「秩序」があって「正しい」気がして安堵していた。そうすることでしか身を守れなかったのだ。そんな環境で生きてきたのだ。
下水道を這いずり回って、下水を飲んで、胃腸が腐って、臭いに鼻がやられて、全身ベトベト、脳もゴミ環境でゴミを吸収してゴミと化した。旅路の果に辿り着いたのがここだ。いいや、辿り着いたんじゃない。初めて目を開いたのだ。
1/31/2026, 6:02:31 PM