G14(3日に一度更新)

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143.『たまには』『絆』『月夜』 

 月が綺麗な夜だった。

 月光は周囲を明るく照らし、森の木々を幻想的に浮かび上がらせている
 ここが危険な魔物の生息地であることを忘れそうになるほど、素晴らしい光景だった。

 冒険者として色々な場所を巡ったが、こんなに美しい月夜は見たことがない。
 自分が井戸の中の蛙であることを痛感すると同時に、胸の昂ぶりを自覚する。
 この世界には、まだまだ俺の知らない景色があるのだ。

 けれど喜ぶのは後だ。
 魔物というのは、基本的には夜に活発に活動するもの。
 人間は夜目が効かないので、夜間の戦闘はいつも命懸けだ。
 満月の日はより狂暴になるので、特に警戒が必要だ。

 なのに、この静けさはなんだろう?
 かなりの距離を歩いているのに、ゴブリン一匹すら遭遇しない。
 それに、そろそろ街に着くはずなのに、まるで人の気配がしない。
 こんなことは、冒険者人生で初めての経験だった。

 これは悪い出来事の前触れではないのか?
 それとも、他に強力な魔物がいて、それに怯えているのだろうか?
 何も分からない。

 ただ一つ分かっているのは、俺たちに殺気を向けてくる存在がいること。
 今の状況と関係あるのかは分からないが、油断すれば間違いなく不意を突いて来るだろう。
 そうならないためにも、一層の警戒が必要だった。

「バン様、どう思いますか?」
 考え事をしていると、俺の隣を歩く女性――妻のクレアが、声をかけてきた。
 クレアは冒険者としての経験は浅いが、この異常な静寂には気が付いたらしい。
 その表情は、見たことがない程険しいものだった。

「そうだな、ここまで静かなのは妙だ。
 原因は分からないが、油断はできないな」
「私も同意見です。
 警戒を緩めるわけにはいきませんね」
 そう言って、クレアの顔がさらに険しくなる。

「私は怖いです。
 恐ろしいことの前触れのようで……」
「気持ちはわかるが怖がり過ぎも良くない。
 適度に怖がり、適度に楽観視する。
 それが冒険のコツだ」
「……バン様」
「なんだ」
「手を握ってもいいですか?」
 思いがけない提案に、思わずクレアの顔を覗き込む。

「なんですか、その反応は?」
「いや、唐突だな、と……」
「唐突なものですか!」
「いやいや、いくらなんでもそういう雰囲気じゃないだろ」
「私たちは夫婦です。
 夫と妻です。
 強い絆で結ばれた二人が、手を握り合う。
 どこか、おかしなところがありますか?」
「そうだけどさあ」
 なんだかクレアの様子がおかしい。

 クレアは普段は凛とした頼りがいのある女性なのだが、こうして自分から甘えてくるのは珍しい。
 こういう雰囲気もへったくれもない場面では、特に。
 真意を測りかねていると、クレアは観念した表情で叫んだ。

「正直に白状します!
 私、こういうのが怖いのです」
「『こういうの』?」
「お化けです!」
 まさかの弱点だった。

「いないとは分かってます。
 でも怖いのです。
 頭でわかっても、どうしても落ち着かなくて、どうにかなってしまいそうです!」
「分かった、分かったから」
 俺は左手をクレアに差し出す。

「どうぞ、お前が安心するなら安いもんだ」
「あら、そういう時は、殿方から握ってあげるものですよ」
「お前なあ……
 まあいいや、たまには俺の方から握ってやるよ」
 恩着せがましい言葉を言いつつ、クレアの手を握る。
 もちろん照れ隠しだ。

 だがクレアの方は照れを隠す余裕はないらしい。
 そのまま怖さを誤魔化すように、俺の手を強く握り締めて――


 ――って、
「痛い痛い痛い」
 ものすごい力で手を握られた。

「やめろ、クレア!
 強く握りすぎだ!
 もっと優しく―― はっ!?」
 懇願するようにクレアの顔の方を見て、思わず息をのむ。
 クレアの目には恐怖ではなく、怒りが宿っていたからだ。

「待てクレア、正気になれ!」
「正気ですよ、私は!
 全て、バン様が悪いんです!」
 支離滅裂なことを言い出したクレア。

 もしかして恐怖で訳が分からなくなってるのだろうか?
 それとも、今起きている異変の影響か?
 グルグルと考えを張り巡せて原因を探る。
 だが俺の思考は、次のクレアの言葉によって凍り付いた。

「バン様が、道なき道を突き進まなければこんな事には!」
 そこで、俺はようやく自分の間違いに気が付いた。
 今の状況の、真の原因にも。

「何が『こっちが近道だ、冒険者としてのカンがそう言ってる』ですか!
 盛大に迷子になったじゃないですか!」
 物凄い迫力で、俺を睨みつけるクレア。
 この気迫ならば、たいていの魔物は寄ってこないだろう。

 俺が感じた殺気は、クレアから漏れ出たものだったのだ。
 そして今、抑えられていた殺気が俺にぶつけられる。
 ……正直、恐ろしくて漏らしそうだ。
 
「というか、ここどこですか?
 どう歩けば街に着くんですか!?」
「そのことは誠に反省して、その……」
「今頃フカフカのベッドで寝ているはずなのに。
 久しぶりにぐっすり眠れると思ったのに!」
「いたた…
 あの、そろそろ許してもらえると……」
「天罰!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ」

 クレアはここぞとばかりに腕をねじ上げる。
 かつて経験したことのない痛みに、俺は悲鳴を上げる。
 俺はここで死ぬんだ。
 本気で覚悟した。
 
 涙で滲んだ視界に映るのは、草陰に隠れているコブリンたち。
 この世の終わりを目撃したかのように、震えながら身を寄せ合っている。

 そんなコブリンたちを見て、俺は『ごめんよ』と心の中で謝罪する。
 まさか、コブリンに謝る日が来ようとは……
 薄れゆく意識の中で、俺はそんな事を思うのだった……。



「バン様、私を一人にしないで!
 お化けが! お化けが!」
 そして、お化けを怖がったクレアが手加減したことにより、今日もなんとか生き残ることができたのだった。

3/12/2026, 12:56:44 PM