猫宮さと

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《目が覚めると》
ふわり、ふわり。
宙に浮かんでいるような、変な感じ。
休んでる暇なんてない。立ち止まってる場合じゃない。
あたしは、皆のために刀を振るうんだ。
皆の肉体が『賢者』に奪われて精神だけの存在にされるのを止めるんだ。
もう、上の兄さんは限界だ。愛する人を殺されて、気も狂いそうなほど苦しいだろうに、あたし達を引っ張ってくれている。
姉さんも兄さん達も疲れが見え始めている。

なのに、ここ数日間は急にぜんぜん知らない場所で目が覚める。
立派な屋敷で、知らない男の人がそこにいる。
いや、誰なのよ。
少し、カッコいいかな。上の兄さんほどじゃないけど。
ちょっと細身だけど、しっかり鍛えてる身体をしてる。服の上からでも見れば分かる。
サラサラした髪の毛が綺麗。ちゃんとお手入れしてるんだろうな。
とても丁寧な話し方だ。姉さんだってもっとフランクに話すよ。変なの。
声もやわらかい。ふかふかのマシュマロみたい。
あたしを見て、すごく優しい顔で微笑む。何だか、むず痒い。
とても、とても大事にされてるみたいで。
お姫様っていうの? こんな感じなのかな。

本当にこの男の人、誰なんだろう。

あたしは…この人を…

私は…知ってる…私は…


…眩しい…。
何だか久し振りにお日様を見たのかというくらいに朝日の眩しさを感じて、目が覚めた。
気付くと、目尻に涙が溜まってる。何か悲しくて切ない夢を見たのは覚えてる。何だったかな…。
う、頭が少し痛い。まあ動けない程じゃないし、いいかな。
もう起きなくちゃ、彼の出勤時間に間に合わなくなる。
ベッドの中で伸びをして、寝ぼけた身体を何とか起こす。
すると、視界の端からガタン!と激しい音が。

何事かと顔を向けると、そこには座っていたであろう椅子を後ろに倒して前のめりに立ち上がっている彼がいた。
いつもの丁寧に整えられた身なりではなくラフなシャツとスラックス姿で、髪の毛もサッと梳かしただけのよう。
それも驚くべきところだけど、絶対に入って来ない私の寝室にどうしているの? しかも切羽詰まったような表情で。
あれ?よく見ると目が赤いし、腫れてる? いったいどうしたの?

朝から不意の出来事の情報量が多過ぎて、何が起きてるのか分からない。
私も多分パニックになってるんだろうけど、彼の様子を見て妙に冷静になってしまった頭でまずしようとしたのは朝の挨拶だった。

「おはよ…」

その言葉が全て口から出る前に、私は彼にきつく抱きしめられていた。

「よかった…戻ったんですね…よかった…」

「ひゃ!!」

な、何!? 何が起きてるの!?
え、う、嬉しいけど絶対喜んでいい場面じゃないよねそんな雰囲気じゃないよね?

不意打ちの大洪水でアワアワ溺れそうになっていると、彼の頭が付いた肩がほんの少しだけど湿ってきた。
よく分からないけれど、まずは落ち着いてもらうためにも彼の背中をそのまま擦った。

長い、長い時間が経ったような気がするけれど、多分ほんの少しの時間。
気持ちが落ち着いたのか、私の肩から少しだけ額を外して俯いたまま彼は衝撃的な事を呟いた。

「…あなたはこの3日間、記憶を失っていたんですよ。」

え?記憶を?

聞けば、日付は確かに3日過ぎている。
でも、私はその3日間の事を全く覚えていない。

経緯を説明してもらうと、どうも私は階段の最後の一段を踏み外して転び、頭を打って気絶したらしく。なるほど、起き抜けの頭痛はこれだったのか。
医者に診てもらった結果異常はなかったので安静にさせていたら、朝に元気に起きだしたのはよいけれど言動が全くの別人になっていたそう。
それまでやっていなかった激しい戦闘訓練を始めたり、長い棒を探し出したと思えば素振りを始めたり。
何よりその起き抜けの一言が

「お前は誰だ?」

だったそうで、頭の打撲から私が無事に目覚めた事を喜んでくれた彼には大層なショックだったみたい。
その後もずっと警戒されっぱなしで、近寄ることも難しかったとか。
しかも、目を離すとどこか遠くへ行こうとしては迷子になるのでおちおち一人にしていられなかったのが、今朝方私の寝室にいた理由らしい。
記憶がない私、どれだけパワフルでやんちゃなんだろう…。

「女性の寝室で二人きりは大変失礼とは思いましたが、そんなわけでやむを得なく…。」
と、彼は大変申し訳無さそうにお詫びしてくれた。
いや、この場合お詫びしなくちゃいけないのは私の方よね。物凄く心配と迷惑を掛けてしまったみたい。

まずはお互いお詫びをし合って、気持ちもすっきりしたところで二人とも着替えをし、朝食を食べに食堂へ向かった。
着替えを挟んで今朝の行動を冷静に振り返った彼が、朝食を目の前に平謝りしてきたのはここだけのお話。

記憶がない私は、頻りに『賢者』と口にしていたそうだ。
うん…まさか…ね。
そういえば、目を覚ます直前に何か夢を見ていたけど、今朝の騒ぎで霧散したみたい。
気になるけれど、覚えてないのは仕方ないかな。

7/10/2024, 1:59:44 PM