sairo

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かさりと、手の中の白い紙が小さく音を立てた。

「やだな。なんでこんなになるかな」

呟いて、ただの紙に戻った式を摘まみ上げる。
右手に当たる部分はなく、まるで鋭い刃物で切られたようだ。頭の部分はひしゃげ、潰され、見る影もない。
何の変哲もない人型の紙が、これを形代としていた少女に重なって、心底嫌だと顔を顰めた。

「ここまでになると、呪われてるのと変わんないな。最近は殆どなかったのに」

愚痴りながら、紙を香皿に置き火をつける。
青の炎を纏い、灰すら残さず燃え尽きるのを見届けて。引き出しの中から新しい式を取り出した。

形代。
仮初の体。人ならざるモノから身を守る術。
教えてくれたのは、長い間行方不明になっていた妹だった。
幼い彼女の事は、よく覚えてはいない。
ただいなくなった夜の事は、はっきりと記憶している。
怒鳴る声。泣く声。扉を開ける音。何かが倒れる音。サイレンの音。
五月蠅くて目が覚めた。暗闇が少し怖くて。縋るものを求めて伸ばした手は何も掴む事が出来ず。
そこで初めて、妹がいない事に気づいてしまった。
パニックになって、布団から抜け出して。
明かりが点いていたリビングに向かえば、そこには怖い顔をしたたくさんの大人達。
その中心で座り込む、祖母。
異様な光景に、声を上げて泣いた。
泣いて、しゃくり上げながら妹を呼ぶ。声が枯れるまで只管に。

その夜から、妹が帰って来る事はなかった。


「やめよ。思い出すもんじゃない」

頭を振って、思い出を散らす。
意識を切り替えるように、新たな式に息を吹きかければ、空を漂う式は形を揺るがせ、ただの紙から妹の姿へと形を変えた。

「ありがと、にぃ」
「ん。どいたしまして」

ふわりと微笑う妹の頭を、少しだけ強めに撫でる。無茶をしたのだろう事に対してのお仕置きをかねて。

「にぃ。ごめんなさい。怒ってるの?」
「怒ってる。んで、怖がってる。なに、あの切れ方と潰れ方。ちゃんとすぐに意識切った?」
「…少し切れただけだよ」

視線を逸らし、右腕を隠される。そんな事をしなくても式には反映されないだろうに。
形代は仮初ではあるが、しっかりとした自分の体だ。感覚も共有しているからこそ、怪我をすればそれが自身の体にも反映されてしまう。
会う事の出来ない本物の妹の体には、今回のものだけではない、今までの傷跡が残っているのだろう。
そう考えて、落ち込んだ。可愛い妹に傷が出来るのは、想像するだけで悲しくなる。

「にぃ。元気出して」
「そう思うなら、無茶しないで。今回はなにがあったのさ」
「えとね。大きい蜘蛛だった。糸の代わりに鎖を吐く蜘蛛」
「忘れなさい。今すぐに」

それは、なんだかとても嫌な予感がする。
思わず真顔になれば、妹はぱちり、と眼を瞬かせて頷いた。

「にぃが言うなら、忘れる。会わないように気をつける」
「そうして。そろそろ心配すぎで胃に穴が空きそうだ」
「それ。たぶんにぃも悪い。また危ない事に関わりに行ったでしょ」

ぎくり、と妹の頭を撫でていた手が止まる。

「あれはさ。つい、というか。思わず、というか」

言い訳にもならない言葉を溢して、様子を伺うように妹を見た。
凪いだ黒曜と間近で視線が交わり、思わず手で眼を塞ぐ。
これは妹の眼ではない。妹の眼はどこにもない。

「にぃ」
「なんでもない。なんでもないし、大丈夫だし。無茶するほど気が強いわけでもないし。そもそも怖いのは大嫌いだから」

その事実を改めて認識しかけて、先ほどよりも支離滅裂な言葉を羅列し意識を逸らす。
されるがままの妹には、すべて見透かされているのだろう。とても聡い子だ。そして誰よりも優しい子。

「あのさ。調《しらべ》」

――いかないで。

思わず口をついて出かけた言葉を呑み込む。
眼を塞いでいた手を外し、何でもないと首を振った。
そんな事を言っても困らせるだけだと分かっている。

あの夜。祖母は妹の眼を神社の神に捧げたのだと聞いた。
顔も知らない祖父に一目会うために。
捧げたのは眼だけだと言っていたが、大人達がその神社をいくら探しても妹の姿はどこにもなかったという。
神に隠されたか。野犬にでも食われたか。
誰もが後者だと思っていた。自分でさえもそう思った。
数年後、妹だという鳥に会うまでは。

「にぃ」
「ごめん。ちょっと昔を思い出してた。形代、教えてもらった方法から、色々弄ってるけど大丈夫?」
「うん。調子いいよ。上手」

妹の笑顔に、ほっと息を漏らし。そっか、と笑みを返す。
教えてもらった形代は基本だけ。移動し見る事しか出来ない。
それを自分なりに調べ上げて、仮初の体にまで改良したのは、偏に妹に会いたかったからに他ならない。
言葉を交わし、触れあえる。それだけで良かったのに。

「無茶はしないでよ。これ以上は形代作るのが怖くなる」
「気をつける。せんせいにも怒られてしまったし」
「今度またお参りに行くから。甘やかさないでくださいって、お願いしておく」

戯けて笑ってみせる。本心に気づかれないように。
今更後悔しているだなんて、形代を作りたくないなんて思っている事が知られれば、悲しませてしまうだろう。

不意に、室内に電子音が鳴り響く。
ポケットの中に入れたままのスマホを取り出すと、表示されていたのは知らない番号。
だが見覚えのある数字の羅列に、電話に出るため立ち上がり、部屋を出るため歩き出す。
けれど。

「調?どした」

服の裾を引かれ、立ち止まる。
振り返り妹を見るが、軽く俯いているためにその表情は分からない。

「どした」
「にぃ」

――いかないで。

微かな、着信音に掻き消されてしまうほど小さな声。
さっき自分が呑み込んだ言葉。

「ごめん。なんでもない」

服を掴む手が離される。それでも動く気にはならなかった。

「出ないの?」

鳴り続ける電話を気にする妹に、首を振る。

音が止む。
それを確認して、スマホの電源を落としポケットにねじ込んだ。

「良かったの?」
「良くないかも。でもなんとかなるよ」

大丈夫だと、笑う。
心配するなと手を取って。

「いかないよ。どこにも行かないし、逝かない。だから調もいかないで」

祈るように目を閉じた。



20241025 『行かないで』

10/25/2024, 10:30:06 PM