名無し

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    〈街〉   



潮とガソリンと煙とほんの少しの花の匂い。

この海辺の街からするのはいつもそんな匂いだ。

母親のすすめで自分の家から離れて母方のおばあちゃんの家に帰省する事になって、この街に来てからかれこれ3ヶ月くらいが経つんじゃないだろうか。

ここは学校とは違ってのどかで人間関係とかもあんま気にしなくていい所だ。

なんせ僕ぐらい、中学2年生ぐらいの年代の人が少ないから、何を話しても珍しい、面白い話題になるからだ。

何故、海辺の街で3ヶ月も過ごしているかって?

…人と話したあと、疲れたなーとかって感じることってあるだろ?なかったら想像してみて欲しいんだが。

僕が普通の人よりそれを感じやすくて、心のキャパシティが少なかっただけだ。

少し疲れすぎたなっていうのを母に話したらあれよあれよとここに連れてこられたってだけだ。

当初は僕の家との距離が遠すぎてあまりこれていなかったせいで母方のおばあちゃんとの付き合い方があまりわからなかったけど、今となっては家族、っていうよりは友達みたいに仲良くできてる。

「行ってきます。お昼ご飯までには帰るから。」

ぎぃ、と潮風で少し錆びついたドアの音を朝の静かな玄関に響かせ、家を出る。

そして、お気に入りの堤防で冷蔵庫からくすねてきたサンドイッチを頬張る。

遅めの朝ごはんだ。

カモメが空を舞い、僕の足元からは細波が鈴のように音を立て、空は淡い水色に光っている。

僕はそんな薄いターコイズブルーの空を睨みながら、学校にいる奴らは二学期の中間テストに追われている頃だろうと思い、心の中でほくそ笑む。

ここは学校を休んでる時の家の中とは違って、学校のチャイムも聞こえないし、一人で孤独を味わうこともないし、僕ぐらいの子供が歩いていても漁師のおじさんとかがたまに好奇な目を向けて来るだけで、買い物帰りとかであろうおばちゃんとか、ちょっとした路地でタバコを吸っている30代後半の人たちの集まりとかはちゃんと挨拶してくれるし、何なら世間話もしてくれる。

世間話ってのはやれここの路地で三毛猫を見かけたとか、やれあんたのとこの爺さん婆さんは元気かとか、そんなものだ。

同級生と話すこととは違うベクトルの話題が少し楽しかったりする。

僕はこの街のテストの心配とか、明日も学校行けないのかなとか不安をぶっ飛ばしてくれるような大きな船の汽笛が好きだ。

それにたまに漁師釣れたての魚を刺身にして猫にあげているところに通りかかると「坊主もあげてみっか?」って笑いながら聞いてくれるおっちゃんが好きだ。

そのおっちゃんのおかげで将来、漁師やってもいいかもなって思えた。

この街の花独特の甘ったるくてでも少し酸っぱいような、例えるなら初恋の匂いだろうか、そんな匂いが鼻を掠める。

「ずっとこのままがいいな………。
…………戻りたくねぇ……。」

ため息を吐くような僕の声がカモメの鳴き声と共に空に響く。

食べかけのサンドイッチを片手に僕は海を眺める。


……多分この先もずっと。



6/12/2024, 10:22:39 AM