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―――いつから、それが目に留まるようになったのか。
気付けば視界の端にそいつはいる。

そのうち、そいつがいるのではなく、自分が目で追っていたのだと気付いた。

正午。昼時の騒がしさが嘘のように静まり返った教室。教師の、眠りに誘う酔うな声がとうとうと響く。

 窓側の列から3番目。教師の目から逃れやすいなんとも好条件なその席に、半分ほど開けられた窓から爽やかな風が、はしゃぎすぎてまだ少し汗でしめっている前髪を乾かしていく。

まるで子守唄のようだと、満腹になった身体にはあまりに効果的な老師の声に。誘われるまま、うつらうつらと瞼が落ちていく。かすかな抵抗も虚しく、ついにカクンと首が机に向かって落ちるのを感じつつも、そのまま夢の中に旅立ってしまおうかと目を閉じる。
すると、それをとがめるかのようにカーテンが頬をくすぐった。その煩わしさにくっついて離れない瞼をなんとかして引き剥がすと、真っ白なそれに目を向けた。

光を柔らかく吸収して、ふわりふわりと揺れているそれを。まるでくらげみたいだと思いながら寝ぼけた頭でぼうっと眺めていると、いつまで見ているんだと言うかのように部屋に舞い込んだ風がカーテンを吹き上げた。
 思わず目を閉じて、少ししてからそうっと開くとカーテンの隙間から雲ひとつない青空が広がっている。
その中で、真上を通り過ぎた太陽が、まだ私の時間だと言わんばかりに煌々と青いろの世界に君臨していた。

柔らかな風とは正反対なそれが、容赦なく視界を白く塗り潰す。目を覚ましたばかりで浴びるにはあまりに強烈なそれに、視界がぼやけてグラウンドへとずらすと、野球をしている生徒たちの姿がそこにあった。
――そういえば、隣のクラスは今の時間体育だったっけ。


いいな、俺もそっちが良かった。

楽しそうな笑い声と共にカキン、と小気味の良い音が耳に届いた。
空に白球を打ち上げたそいつが、嬉しそうに破顔するも、すぐにハッとして、仲間の声に急かされるようにバットをワタワタとしながら地面に置くと走り出した。ふわりとふわりと柔らかそうな猫っ毛が走るたびに揺れる。薄茶色のそれが太陽に反射すると、まるで錦糸のようにきらめいてきれいだった。

気軽にそれに触れることができていたのはいつの頃までだったか。
小学生の頃に転校してきたそいつは、今思えばいつだって視線を集めるやつだった。
担任に背を押され、教室の真ん前で立ち止まったそいつは色素の薄い肌を緊張からかピンク色に染めて、大きなランドセルをギュッと握りしめながら、震えつつも大きな声で名前を口にした。

そいつとは、初めの頃の初々しさなど嘘だったかのようにあっという間にクラスに馴染んでいった。

 繊細で触れるのも一瞬躊躇ってしまうような面立ちとは裏腹に、まるで太陽のような天真爛漫さを宿したそいつを皆んなが好きになった。これで完全無欠のヒーローのようなやつだったら少しは気にいらないやつも出てきたかもしれないが、文学少年の字をそのまま表したような見た目通り運動が苦手だったのもまた良かったらしい。
 年上ぶりたい年頃の俺たちにとっては、恥ずかしそうに笑いながら教えてくれないかと素直に言葉にしてくるそいつになんとも兄心が擽られて、昼休みは腕を引っ張られながら校庭へとかけていくのが常だった。

 人気者のそいつとは縁遠いように思えたが、家が近いことが偶然にもわかってから、放課後みんなと別れた後、近所にある公園で2人遊ぶのが常だった。
年季の入ったブランコに座り、2人で色々な話をするのが好きだった。
 2人だけになると、教室では名前の通りの明るさで教室を賑わせているそいつは静けさを身に纒う。
 
ブランコをゆらゆらと揺らしながらそいつはポトリポトリと言葉を落とす。声を張り上げなくともそいつの声は不思議と耳に入った。

だが、2人きりの時間はそう長くは続かなかった。人気者を放っておくわけもなく、段々と2人きりの秘密の時間は減っていった。

高学年になる頃には、廊下ですれ違えば挨拶する程度になり、中学生になってからもクラスが一緒になることもなく、異なる部活に入部していたことで共に過ごす時間は全くといっていいほどなかった。
このまま別々の道を進んでいくのだろうとそれに対し少しの寂しさを感じることもなくなった頃。

 お互いの進路も知らなかったはずが、同じ高校に入学していたと知ったのは入学式でのことだった。
誰が誰かも把握しきれないような長い呼名の最中、出会った頃に比べ深みを帯びつつも凛と透き通る声が会場に満ちた。
声と同じくして凛と伸びた背を曲げるとそれに従うように小麦色のそれが穂のように垂れ落ちる。

最寄りの駅から通学に2時間ほどかかるこの学校に進学する変わり者なんて俺くらいだろうとそれまで思っていたから、それを目にした時の衝撃といったらなかった。幼い頃の自分が喜びに声を上げようとするのを抑え込み、ただ、そいつを見ていた。

だからといって、そいつとの距離が近づくこともなく。
自分から話しかけるつもりもなかった俺は、このまま当たり障りなく3年間を終えるのだろうと、そう思っていた。

その予感が崩れたのは、景色が薄いピンク色から緑へと纒う色を変え、もうすでにグループを作り始めにぎやかに廊下をかけていく生徒たちを横目にひとりで次の教室まで歩いていた時のことだった。
年月を感じさせない軽やかさでそいつが話かけてきたのは。
 それから、ぽつりぽつりと廊下で会えば言葉を交わすようになり、物の貸し借りをするようになるまではあっという間のことだった。

 そいつの髪と同じく、色素の薄い大きな瞳に自分が写っているのはなんとも不思議だったけれど、その瞳が自分の話に細まるたびに凪いでいた心が波打つ。逸らしてしまいたいのに、逸らせない理由には蓋をした。

 相変わらず人気者であるそいつとは、2人きりで話せる時間はそう長くなかったものの、いつしかその時間を待ち侘びていた自分がいた。

そうして、寒い冬を越え、景色が薄ピンクをまとう春
。気付けば視界の端にいるそいつに、自分から話しかけることに躊躇いもなくなった頃。友達が何気なく放った言葉で、自分の気持ちに否応なく気付かされた。

 視界に入るのではなく、そいつと話せる機会を作りたくて、視界に俺を写して欲しくて、探していたことに。

 もう諦めなよ。幼い頃の俺が呆れたように呟く。
 だって、しょうがないじゃない。

 仲間たちに囲まれて笑うあいつが俺に気づいてはにかむ姿も、気の抜けたような顔で無防備に眠る姿も、秘密だと言っていたずらっこのように笑う姿だって。
あいつが語る特別に、俺だけを見つめるその瞳に昔から魅せられてやまないのだから。

 眠気の残る頭で、無事にホームへと走り着いたそいつを見つめていると、こちらにふと視線を向けたあいつが俺を見て嬉しそうに目を細めた。

 俺の勇姿見てた?なんて言いたげに手を振ってくるそいつに教師にバレないようこっそり手を振り返した。破顔したそいつに太陽の光が照りつけて思わず目が眩んだ。ああ、眩しいなぁ。
 
 その瞬間、再び教室に吹き抜けた風がカーテンを揺らしそいつの姿を隠してくれる。
わずらわしく感じていたはずのそれにナイスプレイ、なんて呟くとカーテンの向こうではあっといまに仲間に囲まれて楽しげに笑い声を上げて去っていく。
 
 太陽のように笑うあいつに見つめられるたびに、全て見透かされている心地になるから、どうか俺を写してくれるなと、そう思うのに。仲間に囲まれて笑う姿は気に入らないなんて。
 
 お前が、ひっそりと輝く星の一つであれば良かった。有象無象のうちの一つでも。その輝きを、俺だけが知っている。たとえお前から見えなくとも、醜い俺の心さえ、闇に隠してくれるのだから。

 チャイムの音が授業の終わりを知らせる。
それと共に、しょうもない思考の海から現実が顔を出した。きっと、明日にはその瞳に映るためにその姿を探してしまうんだろう。

お題:「見つめられると」

書いてる途中でテーマ更新されてしまったのですがもったいない精神でアップします

3/29/2026, 12:10:29 PM