紙ふうせん

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『風に身をまかせ』

私、津田小夜子は、高校生になった時から、同じクラスの井本ヒカルに憧れていた。

言っておくが、ヒカルは女生徒だ。
どのグループにも属さず誰とも距離をとり、いつも一人で本を読んでいた。
艶のある美しい黒髪をショートボブにカットして、いつも彼女は、毅然としていた。

それが、とても自然体で美しかった。
真っ白い肌も美しく黒目がちの意志の強そうな顔をしていた。

私は、元々少し肌の色が黒くて髪はクセっ毛だったので、ポニーテールにいつもしていた。

ある日、委員会があり帰りが遅くなった。
クラスに鞄を取りに戻ると、井本ヒカルがいつものように、まだ本を読んでいた。

ー誘ってみたいなー
そう思って、思い切って「あの、井本さん」と言うと、彼女は本から顔を上げ「なに?」と言った。真っ直ぐこちらを見る目、少しドキドキしながら「良かったら一緒に帰らない?それで、時間があったらだけど、一緒にお茶しない?」と言うと、本をパタン、と閉じ「いいよ」と言った。

やった!やっと彼女と話せた!

そしてふたりは、帰りによくみんなが寄るカフェに行き、私はストレートの紅茶、彼女はブラックコーヒーを頼んだ。

そして、飲み物が来ると、何を話していいのか、誘う事に一生懸命で何も考えてなかった。

私はなんだかドギマギして「あの、井本さん」と言い出すと「ヒカルで良いよ、その代わり、あなたの事もサヨって呼ぶね」と言った。嬉しかった。
私は人見知りをするので、なかなか仲の良い友達ができないのだ。「ヒカルは何故、私の誘いに来てくれたの?」と言うと、コーヒーを冷ましながら「あなたが誘ってくれたから」と言った。

びっくりしてポカン、としていると、クックッと笑いながらヒカルは「ほらね、サヨってとても正直なのね。私、そういう人と友達になりたかったの」と言った。本当に、嬉しかった。

だから、翌日からは私とヒカルはいつも一緒にいた。まるで最初から決まっていたかのように。
一緒にお昼を食べ、休み時間は必ず一緒に過ごし、帰りも一緒だった。

そして、空には白くモクモクと入道雲ができる頃、せわしなく鳴くミンミンゼミの声を聞きながら校庭の木陰でひっくり返り休んでいる時、ヒカルが突然「ずっと友達でいようね」と言った。それはあまりにも当たり前で、何を今更、と思いながら「うん、もちろん!」と言った。

2学期のはじめ、お昼を食べている時、ヒカルが唐突に「彼氏が出来た」と言った。
私は唐揚げを飲み込もうとしていたので危うくむせるところだった。
「へ?いつの間に」となんとも気の抜けたことを言うと、「元々親同士が仲良くてさ、夏休みに一緒に海に行ったりしたの、その時告白されて。全然今まで意識とかしてなかったんだけどさ」と、少し早口で一気にヒカルが話す。白い肌がポゥっと少し赤くなる。

「……おめでとう!良かったじゃない!」と笑顔で言うと、ヒカルはホッとしたように、「あ、でもサヨとは今まで通り友達だよ。そこは何も変わらないよ」と言った。

でも、私は無理をしていた。
そしてかなりショックを受けていた。
夏休みにも一緒に何度も出かけてのに、一言もそんな事を言ってなかった。

でも、ヒカルの、打ち明けてくれた気持ちを考え、何でもない顔をして祝福したのだ。

それからは、今までは毎日一緒に帰っていたのが3回に1回は彼氏と帰るようになり、そのうち週の大半は彼氏と帰るようになった。

やがて、言いにくそうに「ごめんね、サヨ、帰りは一緒に帰れなくなっちゃった」とヒカルは言った。いつか、そうなる気がしていたが、私は笑顔で「いいじゃない、帰りくらい一緒に帰りなよ」と言った。
ホッとした顔のヒカルを見て、初めてジェラシーを感じた。

いや、本当はもっと前から感じていたのに、あえて気づかないフリをしていたのだ。

お昼は一緒に食べたけれど、話の大半がヒカルの彼氏との話だった。
私はお腹に何か塊を感じたが、それを押さえつけ、無邪気に笑って聞いていた。

休みの日も月に2度は一緒に出かけていたのに、1度になった。

出かけていても、どこかうわの空だった。

だから私はヒカルに笑顔で「ごめーん、休みの日、出かけられなくなっちゃった。お母さんに、休みの日くらい手伝えって怒られてさ」と手を合わせると「ありゃー、いいよ。お母さんに怒られないように手伝ってあげなよ」とホッとしたように言った。

そのうち、ヒカルは言いづらそうに、「あのさ、サヨ、お昼を彼氏が一緒に食べたいって言うんだよね。」と言うので、「いいじゃない!私とは学校にいる間一緒なんだから、お昼くらい一緒に食べなよ」と言うと「ありがとう、サヨにはいつも感謝してる」と言った。

感謝はしても、一緒にほとんどいないじゃない、という言葉を飲み込んで。

私は、入学した当初のように、また一人でお昼を食べるようになった。
でも、最初には感じなかった淋しさを感じていた。
みんな、誰かと食べている。
疎外感を感じながら、なんでもない様に一人でお弁当を食べていた。

ある日、朝は気持ち良く晴れていたのに、帰る頃になって急にひどい雨が降ってきた。

下駄箱で靴を履き替えていると屋根の下に、ヒカルと多分ヒカルの彼氏が立っていた。
カサを持っていないのだろう。

私は、母親がうるさいので、いつも折りたたみのカサを鞄に入れていた。
それを取り出すと、しばらく立っていたが、笑顔を作り「ヒカル!」と言った。
「サヨ!潤くん、いつも話してるサヨだよ」と、ヒカルが彼氏に言うと「ああ」とだけ言った。
「ヒカル、カサ、ないんじゃない?これ使って」と折りたたみのカサを渡すと、びっくりしたように「だって、それじゃサヨが濡れちゃう!」と言うので笑顔で「大丈夫!私、置きガサあるから」と言うと、でも、と言っているヒカルに無理やりカサをを手渡した。
少し躊躇ったが、ヒカルはカサを受け取ると「ありがとう、サヨ、本当は困ってたの!」と言って手を振ってふたりで帰って行った。

タップリ15分経ってから、私はどしゃ降りの雨の中、歩きだした。

置きガサがあるなんて、もちろんウソだ。
でも、ヒカルと彼氏が困る方が嫌だった。

本当に?それは、私の本心?
いいや!そうじゃない!!

心が痛かった。雨に混じって塩からい物が口に入る私は泣きながらいつしか歩いていた。

すると不意に「何やってんだよ、お前!」と言う声と同時に、腕をグイっと掴まれ大きな黒いカサを差し掛けられた。

見ると同じクラスの岡田くんだった。

そして訳も分からず岡田くんに連れられ、オシャレな雑貨屋さんに入った。
その時の私は木偶人形の様にされるがままになっていた。

木製の扉が開くと、カランコロンといい音がした。
「あら、宏、おかえりなさい」と素敵なワンピースを着た女性が声を掛けてきた。

「あらあら、大変!びしょ濡れじゃない、そのままでは風邪を引くわよ。宏、シャワーをすぐ使わせてあげて。着替えは」と言うのを聞き、ようやく私は「体操着はあります」と言った。すると「ここ、俺んち。これ母さん」と岡田くんが言うと「シャワー、こっち」、下に着る物は母さんが出しておくから、と言って2階に上がる。お風呂場を教えてもらい、ひどく体が冷えているのにようやく気づいた。コックをひねって熱いシャワーを浴びていると、ようやく感情も戻ってきた。

脱衣場にはかごの中に新しいショーツとブラタンクトップが入っていた。
多分、売り物であろうそれを身に着け体操着を着て、置いてあったドライヤーで髪を乾かすと下に降りた。

すると、店内の奥のガラスのテーブルに岡田くんが、紅茶を持ってきてくれた。「ハチミツ入りだよ。ハチミツは喉にいいんだよ」とカチャカチャと危なっかしくガラスのテーブルに置いた。
「ありがとう、いただきます」と言うと、ふうふうと熱々の紅茶をコクン、と一口飲んだ。少し入ったハチミツの甘さが心地良かった。
胃を通って体に染み渡る。
「良かったら、これも食べて」と言って岡田くんのお母さんがハムとキュウリのサンドイッチを出してくれた。

びっくりしてると「どうせ宏が食べるからよけいに作っただけなの」何か食べると体が温まるのよ、と言って微笑んだ。上品で優しそうな人だった。

「じゃあ、いただきます」と言って食べたら美味しくてお皿のを熱い紅茶と一緒に全て食べてしまった。

その時になって、初めてなのにこんなにしてもらって、ガツガツ食べてしまって恥ずかしくなった。

「ごめんなさい、お腹、空いてないと思っていたのに全部食べてしまって」と言うと、「良かったじゃん、これも飲んでおけよ」と言って岡田くんが、水の入ったコップと市販の風邪薬を持ってきてくれた。

飲まないとずっと立っているので、仕方なく薬を水で飲んだ。

岡田くんのお母さんに「あの、肌着すみません。あれ、売り物ですよね?私、お金払います」と言うと「いいのよ、雑貨屋さんで肌着を買う人なんてあまりいないの。一応置いてあるだけだから」と言ってお金を受け取ってくれなかった。

「お前さ」と急に岡田くんが言い出した。
「井本になんでそこまで遠慮するの?友達だって言うんなら対等なはずだろ。見てるとお前達、最近、お前が我慢してばかりじゃん。それって友達なの?」私は座った脚の上で握り拳を作る。岡田くんは、全部見て知っていたのだ。

それは、私が目をそらして居続けた真実だった。

「だって、だって、そうしたら、今度は私が一人になっちゃう」思わず心に思っていた事を言ってハッとする。

そうだ、私は、今はもう一人になりたくないんだ。

「じゃあ、俺が友達になるよ」はあ?と思って岡田くんを見ると大真面目だった。

「お前が一人で弁当食うの嫌なら俺と食おう。帰りが一人が嫌なら俺と帰ろう。俺と友達になればいいじゃん」思ってもいない事を言われ、混乱した。

「で、でも岡田くん、そうしたら岡田くんが友達といられなくなっちゃうじゃない」と言うと
「馬鹿だな、べったり一緒にいなくても友達は友達だ。ちゃんといるよ。」

「そんな事で離れていく奴は友達じゃないよ。俺、違う高校に行って、夏休みに久しぶりに会った友達いるけれど、何も変わらないぞ」

泣きたくないのに、涙がポロポロあとからあとから出てきて止まらなくなった。

私は、そうだ。ずっと我慢していたんだ。

「あら、晴れたようよ」とお母さんが柔らかく言った。
外を見ると青空が出ていた。
気がつくと、いつも重たかった心が晴れやかだった。今の私の心のようだ。

「あの、また来てもいいですか?」と、岡田くんのお母さんに言うと「もちろん、嬉しいわ。こんな可愛らしいお友達が出来て」と言って優しく抱きしめてくれた。

「俺、途中まで送ってくる」と岡田くんがお母さんに言うと、私は頭を下げてからお店を出た。

「お〜、いい風だな。涼しくなった。」と岡田くんが言って私も風に吹かれて心地良かった。

「岡田くん、今日はありがとう」と言うと、いいさ、と言って笑った。
その優しい笑顔に何故かドキッとした。

「岡田くん、私、しばらくは誰かにすがるようなのはしたくない。だけど気持ちの整理がついたら、一人で立っていられるようになったら、友達になってね」と言うと、おう、と言って笑った。

今は、しばらくは心のままに、吹く風にこの身を任せてみよう。

そうしたら、何かが見える気がした。

明日になったら、ヒカルにもう友達ごっこはやめよう、と言おうと思った。
そして、出会った頃の憧れていたヒカルの様に一人を楽しめるようになろう、と思った。

それが平気になるまでは。

帰り道、心地良い風に吹かれて少しの不安と軽くなった心で歩いて行った。

5/15/2023, 12:35:33 AM