このえ れい

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「もう終わりにしよう」
 彼女はそう言って俯いた。窓辺に座る彼女は、夕焼けを背景にくっきりと浮かび上がっている。表情は見えない。
「どうして?」
 我ながら情けない声が出た。脳内に自分の言葉が反響する。どうして? どうして?
 こちらを向く彼女の目が光った。涙なのか、嫌悪の光なのか。それとも、私への哀れみか、侮蔑か。
「言わないとわからない?」
 逆光でも、彼女の顔が歪んだことに気づいた。笑みを含んだその言葉は、私の胸を抉った。
 どうして? は、まだ頭の中をぐるぐるしている。どうして? どうして? どうして?
 固まったままの私に、彼女はにじり寄った。
「わからないなら教えてあげる。あんたって人は、言葉にしないと理解できないみたいだから」
 聞いたことのない声色、見たことのない表情で、彼女は私に詰め寄る。
「私はね、ずっと我慢してたの。あんたのその自己中な性格にね」とん、と私の肩をつつく。「付き合い始めた頃は、まだよかった。あんたは優しいし、きちんとしてるって印象だったから。でも一緒に暮らし始めてからは、どう? 約束は守らない、家事はしない、休みの日はダラける。デートしよ、って言っても、めんどくさいから寝る、で済ませる」
「……うん」
「これで別れたいと思わないとか、あんた頭大丈夫? 私のことなめてるの?」
 私は顔を伏せた。
「あんた、甘えすぎなんだよ。私はあんたのお母さんじゃない。約束は守ってほしいし、最初に決めた家事はちゃんとしてほしいし、休みの日は外でデートしたい」
 言い募るうち、彼女はだんだん涙目になっていく。私の目にも涙が浮かぶ。
「挙句の果てに、裏切りかよ」
「……ごめん」
「謝って済むと思うなよ。今まで、私がどれだけ我慢してきたと思ってるの」
 詰る彼女を責められない。
「……泣きたいのはこっちだよ」
 彼女は立ち上がる。あらかじめ纏めていたようすの荷物を持ち、玄関へ向かう。
「待って」
 思わず言うと、彼女は振り返った。今度は表情がはっきりと見える。明らかな侮蔑の表情。
「……話しかけないで。永遠にさようなら」
 玄関の扉が、開いて閉じた。彼女はいなくなった。


「どう? 撒けた?」
 一時間経ってから、私は彼女に電話をかけた。
「うん、大丈夫そう。今からそっちに戻るね」
「そっか、よかった。なかなかしぶとかったね」
「ほんとにね。今回ばかりは、もうダメかと思ったよ」
 電話越しに、彼女のため息が伝わる。私は苦笑した。
「いやあ、まさか盗聴器まで仕掛けるとはね……。うちの母が、ご迷惑をおかけしました」
 私は手元の機械を見た。私の母親は、一人娘を心配するあまり、彼女と私の住む家に盗聴器まで仕掛け、監視していたようだ。半端者との交際を認めない、ということだろうが、私にとっては迷惑なだけだ。案の定、母は彼女との交際を反対し、あろうことか盗聴器まで仕掛けるに至ったため、彼女に協力してもらって一芝居打ったということだった。
「盗聴器、全部壊した?」
「うん。ちゃんと部屋の隅から隅まで確認したよ。これでもう、覗き見……ではなく覗き聞きはできないね」
 私が言うと、彼女は笑った。
「よかった。じゃあ、そろそろ帰るね」
「うん、待ってる」
 電話を切る。彼女と縁を切る事態にならずに済んだことに安堵しつつ、カーペットに寝転んだ。
 しかし、あることに気づき、すぐ飛び起きた。あの時彼女は、表情から行動まで、何から何まで自然だった。まるで、聞かれているどころか「見られている」ことまで想定済みであったかのように。
 私は再び、部屋の隅々を見て回った。盗聴器だけではなく、カメラは仕掛けられていないだろうか。
 彼女が帰ってくるまでに解決しなければならない。
 私はまた、這いつくばって捜索にあたる。彼女との未来を守るために。

1/24/2024, 4:03:05 PM