隹。

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「ただいま。遅くなってごめんね。お腹空いたでしょ?」
 行儀よく背筋まで伸ばして、彼女が帰って来るのを待っていた。彼女はそんな俺を見ると、愛おしそうに頬を撫でて微笑む。俺はそれに答えはせず、ただ今日も彼女を見詰めるだけ。彼女の慈愛に溢れた瞳と、優しい声色。それだけはずっと変わっていない。
「今日のご飯はカレーだよ。ふふ、大好きなお肉いーっぱい入れたの作ってあげる」
 彼女は持っていたビニール袋の中身を俺に見せていた。中に入っているのは新鮮な食材だ。彼女は俺の顔を覗き込む。
「…これなら、今日は全部食べれそう?」
「……………。好きなだけ食べていいからね!元気つけて明日も頑張ろう!」
「それから、にんじんもちゃんと食べること!分かった?」
 彼女は答えない俺に話し掛け続けている。
 料理中も、俺は何も答えられないというのに、今日あったことやら何やら沢山の話題を振られた。相変わらず、賑やかで楽しい人だ。時間があっという間に感じる。
 今頃、出来たてのカレーの匂いや他のにおいが混じって部屋の中に充満しているのか。換気でもしようものなら、きっとこのアパートには誰も寄り付かなくなるだろう。
 真っ白な皿に白米とカレーを盛り付けて、彼女は自信たっぷりな様子で俺の前にそれを運んで来た。
「はい、あーん。」
 出来たてのカレーライスが一口分、スプーンで掬われた。白い湯気が浮かんで消えていく。

 べちゃり。

「…美味しい?えへへ、作った甲斐あったなぁ。おかわりもあるからね」 


 母さん。
 はやく、夢から醒めてくれ。

 望まない呪縛から、本当に逃げたいと思っているのは誰なのか。
 母の幸せそうな表情を見ても、俺の空洞が埋まることは無かった。






 ___ 1 逃れられない呪縛


5/23/2023, 12:40:55 PM