『終わりにしよう』
「終わりにしよう。」
彼が優しい笑みを浮かべて言ったとき、頭を鈍器で殴られたかのように、痛くて苦しくて仕方がなかった。終わりにしよう。それは私が1番聞きたくない言葉で、彼がその言葉を口にした時、私は耳を疑った。彼は優しい人で、私を絶対に傷つけないから、彼が私が恐れている言葉を言うなんて思ってもみなかった。
「もう駄目なんだよ。もう辞めよう。」
彼が言葉を紡ぐ度、涙が溢れ、頭が真っ白になり、呼吸が苦しくなっていった。あまりに衝撃的で、返事をすることさえままならない。言わないで。聞きたくない。辞めて。言葉にならない想いが私の思考を埋め尽くす。それでも彼はお構いなしに言葉を続ける。
「知瀬。僕は君と出会えて幸せだったんだ。君のことを愛しているし、君には誰よりも幸せになって欲しいんだ。」
私の名前を呼ぶ彼の声は優しくて、暖かくて、どうしようもないくらい胸が苦しい。
「いや、いや、いかないで。」
やっと言葉になった私の想いに、彼は答えてくれない。優しく微笑んで、首を横に振るだけ。
私だって分かっている。いつかは終わりが来るということも、自分自身が狂っていることも。それでもいざ別れを告げられると、理解が追いつかない。
「ごめんね、知瀬。僕がそばにいてあげられたら良かったけれど。僕は──。」
「言わないで、お願い。」
彼の言葉を遮って言葉を発する。お願い。言わないで。お願い。あと少しだけ。少しだけでいいからそばにいて。離れないで。
でも、彼は切なそうに微笑んで、言葉を続けた。
「僕はもう、死んでしまったんだよ。」
あぁ。どうして。聞きたくなかった。分かっている。彼は数年前に死んでしまったことも、今目の前にいる彼は幻覚だってことも。
行き場のない気持ちが、想いが溢れて、それでも言葉にならなくて、嗚咽が止まらない。
「ごめん、ごめんね。でも、僕はもう君のそばにはいられない。君はもうそろそろ前を向かなくちゃいけないと思うんだ。」
彼が私の頭を撫でようとするけれど、触れられるはずもなく、彼の手は私をすり抜ける。
「知瀬。僕はいつも君を見守っているよ。だから泣かないで。君の涙を拭ってあげられないのは苦しいんだ。」
「いかないで、いやだ、いや、お願い」
悲願する度に、時が進む度に、彼の姿は薄くなっていく。傍にいたい。居なくならないで。ひとりにしないで。そんな想いは届かなくて。
何分が、何時間が経ったか分からなくなってきた頃、私の目の前にはもう何も、誰もいなかった。
7/15/2024, 10:36:33 AM