My is Name

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よくドラマやアニメ等で、母親が自分の子供に「ほーら、好き嫌いしないで食べなさい!」って言うのを見かける。だが私はそれを言われたことが無いような気がする。いや、正しくは"言われたかもしれないが、覚えていない"だろう。そう、私は基本ぼーーーっとしている人間だったのだ。人間という生き物でありながら人間ではなかった気がする。

__まあ実際宇宙人との交信と称して日頃から家の天井の角を見ながら「ぽろぽろぽろぽろ」と言ってたのだから、自分で自分に『ただの人間ではなさそう』という暗示をかけていた気もする。まあそうなった経緯はまたにしよう

真面目な話、自我が芽生えたのはきっと中学2年生あたりだと思う。ちょっと話は戻るけど、多分私は注意されても一切……とまではいかないけどあまり耳を貸さない人間だったんだと思う。昔も。そして今も。そりゃあ言われたら気にする。気にするけれど、何故か直したく無い、直せないという確固たる意志が根底にある。つまり頑固なんだろう。でもこれが私。良いように言うと「譲れないものを持っている」人間というわけだ。

そしてその結果。トマトが大嫌いなのである。トマトが嫌い。何故ならトマトだからだ。トマトがトマトである以上、私はトマトを拒み続ける。セロリもミョウガも嫌いだ。食べれなくはない。だが生で食べるのが本当に無理なのだ。トマトだってそう。調理してあればへっちゃら。だけど生は無理。あと冬に、お鍋に毎回入っているきのこ類も無理ということに気付いてしまった。 1度「むり」と思うとどんどんマイナスな方へ思考が転がる。シンプルだ。【むり→不味い→嫌い→吐きそう】何かに活用できるかな。少なからず私が本を出すとしたら必ずこの4原則は使うね。

実は昨日の夜ご飯に出た千切りキャベツ……と何故かトッピングされたミョウガが激まずで、全部食べるのは本当に無理だったから捨てちゃった。こちとら千切りキャベツを食べるのに必死なのに。

ミョウガはダメです。



ということで、結論【人には必ずしも好き嫌いがある】ということですね!

6/12/2024, 11:01:35 PM