永遠の花束
『枯れない花が欲しいの』
妖艶に微笑む彼女にとって程のいいお断りのフレーズは酷く耳に残る言葉だった。
それがドライフラワーを指す訳ではない事は両手に花束を抱えて茫然と立ち尽くす哀れな男でもすぐわかる。
一世一代、清水の舞台を飛び降りるつもりで仕掛けた永遠の愛を誓う言葉は儚くも無惨に清水の滝の中に消えた。
『優雅ねぇ。まるでかぐや姫じゃないの』
一人寂しくビールを片手に突っ伏す男を哀れに思った妹がそんなことを言う。
静まり返った薄暗いリビングで一人男泣きをする兄に付き合い自分も冷蔵庫からビールと簡単なおつまみを作りテーブルに並べる。
『一目惚れだったんだよ…』
嗚咽混じりの消え入りそうな己の声が哀れさを更に加速させる。
まぁまぁ、なんて言いながら背中をバシバシ叩く妹へ優しくしてくれ、なんて言おうものなら失恋は泣くより笑う方が忘れられるのよ、なんてガハハと笑いだすものだから余計に泣きそうになった。
美しい人だった。
たおやかで儚げに見えて実は薔薇のような華やかさを持つ。内面の強さを表すかのような倫とした佇まいに目を奪われた。そばで見ているよりもっとそばにいたい。
一生分の勇気を振り絞った告白は呆気なく花束と共に返されてしまったけれど。
冷えたリビングに不釣り合いな花束が花瓶の中で存在を主張している。捨てるに捨てられずに持って帰ってきたけれど見れば見るほど現実が突きつけられた。
『枯れない花ってなんだよ…』
ビールを一気に煽ってぐてーっとテーブルに突っ伏した。
まるでかぐや姫のような人が求めるその花の正体が知りたい。だってそんなもの時間が止まらないと無理だろう。生きるもの全て残酷なまでに平等に時間は流れるのだから。魔法でもないと無理ではないか。
メソメソと泣き始める兄を呆れたような面白がるような目で眺めていた妹がうーん、と口を開く。
『枯れない花ねぇ…』
『わっかんねぇよ。フラれた事しかわかんねぇよ』
ヤケクソになって目の前のおつまみを鷲掴んで口に放り込むと妹はいそいそと残りの皿を自分の前に確保した。
『ずっと変わらない花、ねぇ…』
何やら言いたげな様子の妹はうーん、でもなぁ。だとしたら…なんてブツブツと言い出した。でもお兄ちゃんだしなぁ…、なんて声まで聞こえたものだから反発心が怒る。
『なんだよ、フラれた可哀想な兄を慰めるくらいしろよ。』
傷口に塩を塗る真似はいらんぞ、と呟くとそう言う所なんだよなぁ…なんて呆れたようにため息をついた。
『ねぇお兄ちゃん。その花束はいつか枯れちゃうね』
『そうだな』
『枯れない花はないよね』
『当たり前だろ』
『じゃあこの花束が枯れたらどうすんの?』
『は?』
そこまでのやり取りで妹ははー、とこれみよがしにため息をついて立ち上がった。
ねぇ、お兄ちゃん。
妹は立ち上がって二人分のビール缶を片付けるとたち去り際に一言いった。
『花瓶はここにずっとあるよ。』
ずっとね。
ほんとニブイな、そういうところ。
そう言って笑う。
案外、待ってくれてるのかもしれないね。
遠ざかっていく足音だけがリビングに響いた。
あぁ、そうか。
花束を改めて見ながら気づいた事がある。
美しい彼女に似合うと思ったこの花束が相手への負担になっていたかもしれないことに。
小さな花瓶に無理やり敷き詰めた花束をコップに分けて無理がないようにする。
飲みすぎたアルコールでフラフラする手つきで花に触れると力を込めすぎないように丁寧に扱った。
己の気持ちばかり先行して事を妹にすら見抜かれた。
『ほんっと情けねぇ男だな俺は』
俺はハハと力なく笑ってコップサイズに小さくなった花束を一つだけ自室に持っていった。
『あのさ…』
『なぁに?』
翌日、通りかかった彼女に声をかける。
朗らかに振り返る彼女は変わらず優しく笑いかけてくれる。
『昨日は急にごめん。枯れない花の件色々考えた。』
静かに彼女が言葉を待ってくれることに感謝して、言いたい事がきちんと伝わるように花を取り扱うように丁寧に言葉を探した。
『花を大事にしない奴の花はすぐ枯れる。でも大事にするって独りよがりじゃダメなんだよな。』
この考え自体が合ってるのかはわからない。
わからないけど、伝える事に意味はあると思うから。
『友達になって欲しいってのは、ダメかな』
頬が熱くなるのを感じる。花束を渡すよりずっと恥ずかしいとは思わなかった。
しばらくしてふふ、と鈴の音のような笑い声がした。
『意地悪な問題出してごめんね。ありがとう、これからよろしく』
初めてみた笑顔に俺の中で満開の花が咲いた。
2/5/2025, 4:22:28 AM