リア充
中高生の頃、流行ったこの言葉は社会の風潮をあらわしていた。
社会人になって、昔の事を思い出していたのも隣にいる幼馴染が机で寝ているからである。
なんで、人様の机で大人の男が寝ているんだろと自分でも呆れてしまうが、少し覗き込むと、すやすやと机に涎を垂らしていたので、頭を叩いて起こそうかと真剣に悩む。
また、小さい頃から見ているこの男は、昔はほっぺがぷにぷにとして可愛らしかったのに、今は頬が硬そうなので、眠っている隙に人差し指を当てて感触を確かめる。
「ん? 硬い」
独り言を漏らすと、
「何してんだ、恭子」
「へ?」
突然、ライオンが目を開けたかのように、寝ていた奴はこちらを睨んでいる。
思わず心の動揺を押し隠すため、
「いや、昔は可愛らしかった朗太が今はすっかりおじさんだなと思って」
あせあせと言葉が滑り出てくる。
「じゃあ、お前はおばさんじゃね?」
ふんと笑う姿に可愛らしさは無くなっていたので、私は(残念だな)と眉を寄せながら、
「私はアラサーです。はいはい、立派なアラサーですよ」
と首を右にこてっと傾けながら、うなずく。
「ねえ、朗太」
「お前、その呼び方はやめてくれ」
不機嫌そうな声になった幼馴染の朗太は猛獣のような目つきの鋭さでこちらを見るので、
「あ、ごめん。つい」
「わざとか」
「いや、慣れだよ」
「ふん、そうなのか」
と慌てて私は弁解をしたが、朗太のご機嫌が斜めになった。
「だいたいさ、彼女いるなら来ないでよ」
ぽろりと本音が漏れてしまったのを聞き逃さずにじっと見てくる。
冷蔵庫にあった果物のゼリーを二人で無言で食べていた時に、朗太に話してしまった。
「彼女って絵美のことか?」
顔が良い幼馴染はどこか上の空だったけど、
「そうよ、女性の嫉妬の恐ろしさを昔から経験してるのよ、絵美だっていつもにこやかだけど私を見る時は冷ややかなのよ」
身震いするような学生時代の思い出が蘇る。
「お願いだから金輪際、私の部屋に来ないで」
と奴に懇願するのだが、
「無理だ」
と却下される。
この幼馴染の男は中学、高校の頃からよくモテる。
私は隣の家に住む奴のお陰で女性からとばっちりや陰険な目にあい、一時的に人間不信に陥ってしまった。
社会人になって、奴と距離ができてから心が落ち着いて、心情を誰かに吐露できるようになったのだ。
「学生時代覚えてるでしょ? あんたを好きな子達にい、いじめられて、大変な……」
「絵美とは別れた」
朗太が何かつぶやいたがよく聞こえなかったので、
「人が少ない階のトイレが私のオアシス……」
「は?」
奴の言葉にフリーズしてしまった。
「あんた、な、なんで。そんなもったいない」
と泳いでいる魚が陸に飛び出して酸素不足に陥るかのように、喋ると、
「お前がなんで狼狽えるんだ」
とはっきりした太い声音がした。
「うろたえてるでしょ。当たり前じゃない。あんたの学生時代の女性遍歴をなぜだか知っている私が一番驚くわよ。絵美とは4年付き合ってるんでしょ」
「もう付き合ってた、だ」
過去形にするということで幼馴染の本気の時の一貫性が伝わってくる。
「確か絵美とは社会人になってから職場で再会して付き合い始めたんでしょう?」
「そうだけど」
不意と目を逸らす奴に畳み掛けるように、
「いい出会いなんてそうないんだからもったいないじゃない」
と力説していた。
(私が説得している場合じゃない。私だって、良縁が欲しいし、彼氏だって)
「いるのか」
「え?」
考えに没頭していたら、言葉尻が聞こえた朗太の言葉にゼリーのお代わりは冷蔵庫にあると思って、
「あるけど」
と答えると、朗太の声が一段トーンが下がったような気がした。
「俺の知り合いか?」
「朗太の好きな味はまだあるよ」
と答えたところで、首を傾げた。
部屋には沈黙が続いている。
私は立ち上がり、
「さ、ゼリーも食べたからもう家に帰って」
さあさあと幼馴染の腕を引っ張り、部屋から追い出そうとした。
「待ってくれ」とか聞こえたけど知らない振りをした。
朗太は学生時代、言葉通りリア充だった。
リア充は学生時代が楽園だったはずだ。
その対極にいたのが暗黒時代だった、私だ。
ようやく傷も癒えてきたのに、塩を塗られては冗談ではない。
次こそは彼氏をと切実に望んでいる私にはじっと見てくる朗太が何を考えているのかなんて知らないほうが良いに決まっている。
「俺はお前が……」
「そ、そう。ごめんちょっとトイレに行きたいから」
と言葉を遮り部屋の外のトイレに行こうとしたら、逃げようとする私に対して、
「お前は良く(俺の性格を)知ってるはずだ。 人の話を聞かないで逃げるなんてできる訳ないじゃないか」
ぎゃっ、腕を引っ張られて朗太の腕に囲われてしまった。
隣の幼馴染は肉食獣を彷彿とさせる目で私を捕らえて、そして、それに怯える私は小動物なのだろう、か。
4/30/2024, 11:16:41 PM