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お題『答えは、まだ』

「七海サン。俺たちのこれからのこと、考えてくれてますか?」
一瞬、空気が止まったようだった。
七海は黙っている。その沈黙が、痛いくらいに重い。猪野はぎゅっと手を握りしめる。
「俺は、ずっと一緒にいたいって思ってます。でも……七海サンは、まだ“答え”をくれない」
「……焦らないでください。私は、ちゃんと向き合っています。……ただ――」
「“ただ”が多すぎるんですよ、七海サンは」
語気が強くなったことに気づいて、猪野はすぐに口をつぐんだ。七海が少し目を伏せたのが見えた。
「ごめんなさい。……怒ってるわけじゃないんです。俺、ただ……怖いんです」
「怖い?」
「そうです。いつまでたっても“俺たち”が、俺だけの幻想だったんじゃないかって。七海サンは、本当に俺のこと、好きでいてくれてるのかって……」
七海がゆっくりと顔を上げた。そこには、わずかな驚きと、口惜しさがあった。
「何を言っているんですか、君は」
「え……?」
「好きに決まってるでしょう。そうでなきゃ付き合ったりしません。……ただ、私は、年下の君の未来を奪うことに、どうしても躊躇してしまうんです。君にはもっと、自由で選べる可能性がある。私は――」
「じゃあ、俺が選んだ答えを信じてくださいよ」
猪野は七海の手を、そっと握った。
「俺があなたを選んだんです。未来も、自由も、可能性も全部知ったうえで、それでも七海サンがいいって。そう決めたのは、俺です。……七海サンの“答え”がまだなら、待ちます。いつまでも待ちます。でも、俺の気持ちは、もうずっと前に決まってるから」
七海は目を伏せたまま、猪野の手を握り返した。
その手の温かさが、彼の中の迷いを少しだけ溶かしていく。
二人の間に流れる時間は、静かで、確かなものだった。
「――ごめんなさい。答えは、まだ。でも……きっと、近いうちに」
七海が小さく微笑んだ。
その笑顔に、猪野はまた、恋をした。

9/16/2025, 1:20:10 PM