薄墨

Open App

肌に張り付いたシーツを、慎重に剥がして起き上がる。
掛け布団がずり落ちる。

横ではまだ、あの子が柔らかな布団に包まれて眠りこけている。
頬をシーツにくっつけて、安心しきった、疲れきったように口を半分開けて、規則正しい寝息を立てている。

そっと一束の髪を梳く。
さらりとした髪が指の間をすり抜けてゆく。

そんなつもりじゃなかったなんて、今じゃもう体のいい言い訳だ。
それでも目が覚めるまでに、私は立ち去らなくてはならなかった。

私とあの子は一緒に実在できないのだから。
私とあの子は住む世界が違うのだから。

昨日の夜、あの子は相当荒れていた。
実在する人間の声も、幻想の中の私たちの声も、あの子には届かなかった。

轟々と泣きながら、あの子は幻想の私を引き摺り出して、そのままベッドに引き込んだ。
…そこから後のことは、私の記憶は曖昧だ。
なんだかよく分からないままにそのうち、心地よい疲労感がやってきて、そこが冷えたような冷たさと怠い温かさを感じながら目を閉じて……

目が覚めたら、横であの子が寝ていた。

私も馬鹿じゃない。
いくら私が肉体を捨てた存在だとしても。
いくら私が人の想像の中にしか存在しないものだったとしても。
いくら私が魂だけの存在であっても。

…この状況の意味するところは分かった。

あの子が私たちを現実の友人だと思い込み始めたのはいつだっただろう。
あの子が私を、親友と呼んだのはいつだったろう。
あの子が私に熱の籠った瞳で笑いかけるようになったのはいつだったろう。

いつ、私が消えていたらこうなることを防げたのだろう。

ここはあの子の病室。
心と感情がすっかり壊れてしまったあの子の。
あの子の幻想の中の、私の先輩は、遠い目をして、そうとだけ教えてくれた。

白い掛け布団が微かに上下する。
あの子の体だ。あの子の呼吸だ。

あの子の目が覚めるまでに、私は消えなくてはいけない。

私は幻想の友人ではなくなってしまったから。
私はあの子の現実を知ってしまったから。
このまま残れば、きっと私は、あの子の拠り所になってしまう。
実在しないのに。

だから私は消えなくちゃいけない。
目が覚めるまでに。

シーツを剥ぐ。
腕をゆっくり抜く。
最期に見たあの子の寝顔は、危うくて、儚くて…でもいつもよりずっと穏やかだった。

8/3/2024, 1:42:19 PM