薄墨

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ため息をついて、メガネを磨く。
メガネのレンズの白い曇りが、あっという間に透明に晴れていく。

雲との境目が曖昧な今日の空を見上げる。
思わずため息が漏れる。
メガネが曇る。
もう一度、メガネを外して、曇りを拭き取る。

マスクが欠かせなくなって、何年が経つだろうか。
この季節まで来れば、それほど用心はいらないにしても、私の場合、外出する時にマスクは手放せない。

しかし、このマスクというのは曲者で、ため息や長い息は全部鼻の隙間から上へ飛ぶ。
結果として、メガネがすごい頻度で曇るのだ。

また、ため息をついてしまう。
メガネを拭く。

メガネの曇りは、手間だが拭けばすぐに消えてしまう。
だから、拭くたびに、私の中に曇りが生まれる。

私は、他の曇りが羨ましくてしかたない。
メガネの曇りは、ひとこすりすればあっという間に見えなくなる。
透明に晴れて、視界は良好。
どんなに、なんども曇っても、拭きさえすれば、メガネのレンズはまた、透明に戻る。

天気の曇りだってそうだ。
今はこうして、雲と溶け合って、どんよりと重たく垂れこめているが、日が変われば、雲はすっかりくっきりと分けられて、空は清々しい青になる。
曇りはあっけなくなくなる。

それが羨ましい。
人の曇りも、そうやって清々しく消えてはくれないものか。
人の曇り…たとえば、罪とか、恨みとか、前科とか。
あとは…どうしようもなく煩わしい人間とか。

おかげで私はマスクが手放せない。
私は曇りを拭き取ろうとしたのだ。
けれど、それは曇りを深めただけだった。
これだから人の曇りは嫌だ。

私は曇りを拭っただけだ。
あのどんよりとした雨雲みたいにいけすかない、アイツを拭き取ってから、私は多くの曇りから、追われることになった。
罪、罰、恨み、前科。
そんな面倒で、濃い曇りに。

私は曇りが嫌いだ。
だから、マスクが欠かせなくなった。
曇りから逃げ切りたいのだ。

私は、曇りが嫌いだ。
不快なのだ。
小さい頃からずっと、白黒つけずにどんよりふわふわと視界を妨げる、曇り。
特に何をするでもなく、ただ黙って邪魔な曇り。
不快で、嫌いだ。
逃げているのだ。私は。
曇りから。
今も、昔も。

ため息が漏れた。
メガネが白く曇る。
鬱陶しい。
外して、曇りを拭う。

空は、雲と境界も曖昧に、曇っている。
嫌な日だ。
辺りを見回す。
今日は、足早に帰路を辿ることにしよう。
曇りから、逃げるために。

3/23/2025, 10:47:02 PM